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12月27日 [遊び]

百均で楽しいものを買った。
黒い32頁のスクラップブックと、黒い軸の18本入り色鉛筆。一頁あたり3円のスクラップブックと、一本6円程の色鉛筆。平成16年の今、この時代の豊かさを思う。
何処の国のどんな人々がこれを作っているのか。デザインした人は誰なのか。どんな人達が運び、どんな風に運ばれて、誰に買われていくのだろう。

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黒いページに色鉛筆で描いて見る。夜をこする様に微かな光の色が、浮き上がる。
角度を変えて見ると明らかになる、儚げな奇跡。

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思い立って針で紙に穴を開ける。風穴の様な光が向こう側から、差し込んでくる。
明日のほうからか、昨日の方からか微かな光が煌めいている。


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冬の頁雨雲の上は光の海 無音



11月22日 [遊び]

朝の地震、東北大震災を思い出した。変わる震度に、変わっていく津波の高さ。人間の何と小さい事と改めて知る。被害の少ないことを祈る。
路地の垣根の紅葉を少しいただき、鼻筋通った美女を撮る。


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7月26日 [遊び]

資本主義型監視社会の始まりといった記事を、ポケモンGO解禁のニュースの側面として読んだ。

ネット先進国アメリカで、ドキュメンタリー作品「WE LIVE IN PUBLICー公開生活24時」オンディーティモナー監督は、米国の若手実業家を主人公として、NYの地下に新進気鋭のアーティスト100人を集めて、住まいも食事もタダの提供をする内容の映画だという。

代わりに24時間、彼らの生活をトイレからセックスまで記録し、すべてがビデオカメラで監視、記録、ネット中継されるという内容だったという。「ここでは全部無料だが、全員の個人情報は全部僕のもの」と不敵に語るという。主人公は1980年代からのIT勃興期に大成功を収めた人物が主人公の作品だという。

世界中に張り巡らされた監視カメラと監視型社会。効率的な生産のためのロボットは誤って人を傷つけることもあるので工場内で、人間が近づけないように監視されるものもあるという。

アメリカの若者たちはFBや、Twitter等にプライバシーを守るよりも、SNSの中で近づきたいという欲求が高いという。

100年ほど前にアメリカのコダック社が生んだカメラを追従したドイツのカメラを見つめていると、記録とは何か、見るとは何かが感じられてくる。日本がパーレットという名で後追いしたカメラでこカメラの表面を撮った。
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レンズのコレクションで安いものは監視カメラに使われているレンズが多いことに最近気づいた。
レンズが一番多く使われているのは今や、スマホや、監視カメラのレンズかもしれない。
監視社会の世界を生きるには、co-veillanceという相互に監視する社会が必須だということを学んだ。
そのための知恵を考え、多くの善良なる人々と選択していきたいと学ぶことが大事な時代なのだろう。


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80年前のカメラのパーレットのレンズを磨き、蛇腹のカメラの本体のフィルム側にデジタルカメラをセットしシャッターを切った。目の前の机の上のスタンプ台が、シャープに捉えられていた。
余りにもシャープで、たじろぐ程の世界だった。


5月22日 [遊び]

黒塗りの漆の盆に、ヤスリをかけ始めた。隅の曲げ具合の構造がはっきりと顕われる。
全ての塗られた漆を落とせば、100年ほど前の白木の盆となる。何度も補修された絵本が漆の黒の違いは、流れた時間が今にたどり着いた気配が濃厚。白木に木の香が蘇ったように思える一瞬。

函館の洋館には、何層ものペンキが塗られてきた記憶の色層があると何時か読んだことがある。

赤瀬川源平さんは晩年に、家具達の塗装を剥ぎ取り、ハグ「抱擁」すると名付けていた。紙ヤスリで木肌の表面を擦る行為は、本当に抱擁する手のひらの感覚がする。



漆黒の闇に夏日の角がたつ 無音



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夏の暗闇運ぶ箱舟の火 むおん

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あとすこし曲がれば平和の夏が待つ ムオン


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3月6日 [遊び]

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今日はこの町大磯の、今昔写真が見れる観光協会制作のスマホまたはタブレット用無料アプリのお披露目があった。スマホアプリの検索で「大磯今昔」と探すと見つかるそうです。

今現在、鎌倉今昔、鯖江今昔、今治今昔の3つがアップされているそうです。
午前中昔の写真の、現在の場所を探しに街へ出る、ワークショップが開かれ参加してきました。
大磯駅周辺の昔の写真です。
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街へ出て、134号線の大磯側終点の交差点の昔と今です。正面の毎日新聞の販売店は今も変わらず営業中です。西湘バイパス開通以前の昔にはこの134号線から国道1号線を通り箱根方面へ向かう道が渋滞したようです。

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国道1号線大磯の中心部の西側、昔の写真は大磯カーニバルの行列が東京方面へ行進中です。
大きな看板の文字で現在地が推定できました。

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大磯中学の前の国道1号線へつながるT字路です。右手の崖部分に沿ってあった歩道は、現在石垣で埋められて歩道の名残が少しだけ石垣の下に残っていました。

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大磯駅前に来て古くからある風月という喫茶店の前で春雨に会いました。
この場所の60年くらい前のモダンな建物の写真は、今よりモダンな当時の光景がアプリによって見られます。当時3階建ての喫茶店地下まであって地下は蕎麦が食べれたそうです。縦にアルファベットでバウハウス風の洒落た店名がつけられ、駅側には見事な柳の木が一本あったそうです。
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     今昔の町にも春が来てひかり  ムオン







1月10日 [遊び]

人工知能、IoT、ポスト・シンギュラリティ、数学、情緒、宗教に今何ができるのか、経済とは、文化とは。様々な関心ごとの毎日。半世紀前の事を思い出した。クラスメートのN君が卒業制作の作品に、真っ白で緻密な石膏ボードに、ポスターカラーで面相筆をつかいカラフルな線画を描いていた。何故石膏ボードなのか謎だった。その年の前年の秋に修学旅行で奈良の法隆寺を訪ねた記憶が蘇ってきた。この寺の金堂壁画には漆喰壁に描かれた有名な仏画があった。絵師が漆喰を塗ることまで携わったと、その頃説明があったか、記憶にはない。N君が説明を聞いて作品制作のヒントにしたかも定かでは無い。
絵は描かれる素材があってはじめて成り立つ当たり前の世界に気づいた。クラスで他のすべての人が紙を媒体に卒業制作を作る中、石膏ボードに挑んでいたN君の世界を今思う。絵で描きたい衝動とは、彫刻でも、歌でも、詩でも、幅広い行為に繋がっていると、これまた当たり前の世界に気づく。
人工知能に、人間はどこからやってきたのか聞いてみたい。

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八月十四日 [遊び]

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ドアーのような窓のようなたくさんの秘密がありそうな店。否ドアーも窓もない店のがもっと秘密があるのだろう。中が見えていれば秘密が無いのか。中が見えていても秘密が沢山なりそうな店もある。そもそも秘密ってなんなのだろうか。かくしていくほど疑いが深まるのは事実だが、あまりにもオープンすぎるのも裏がありそうだ。

昭和14年の昨日の13日、エノケン一行東宝映画の撮影で、湘南大磯照が崎海岸でロケ、映画のタイトルは何か。もしかしてアオバトが空を飛ぶ姿が映っていたら凄いのだが。


六月七日 [遊び]

なんだかなーと、その店の前で脚を止める。ちょっとケバケバしいし、店に入る勇気も削がれるのだが、気になる店構え。蕎麦屋は粋に格子の開き戸と、暖簾が一枚と思い込んでる、昭和の老け役の私には、やはりなんだかなー。街道を活性化している努力は認めるのですが。ふと大津絵発祥の宿場町を尋ねてみたくなったりして。この店の上空にもアオバトたちが海へと飛ぶ光景が、今朝も観られます。

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三月六日 [遊び]

『人間にとって家族とは何か』山極寿一さんのアフリカで再開したゴリラの話を読んで何か嬉しくなりました。26年前のゴリラのタイタスとの出会いも感動でしたが、以下再会の話は素敵です。
『遊び』とは、人間も動物も、相手に合わせて行動し、弱い相手ならその相手に合わせて戯れる行動だそうです。相手と共感を得て楽しむ行為。
上から目線では遊びにならないということに惹かれます。真に対等であることなかなかできないことです。遊びは、何か人生でも大事なんですね。


26年ぶりの再会は、しかしながら、期待とは裏腹な結果となりました。人間でいえば60歳を優に超えて、よぼよぼしているタイタスは、山極さんの呼びかけにも反応が鈍く、忘れてしまっているのかと思えました。それでもあきらめきれずに、3日後改めて山の斜面を登り、会いに行きます。すると、正面に坐っていたタイタスは、5メートルほどの距離まで近づいてくると、まっすぐ山極さんの顔を見つめ始めました。山極さんは驚き、タイタスの顔をじっと見つめ返します。目が合いました。すると、驚いたことに、タイタスの顔が急に若返り始めます。山極さんが「グッ、グフーム」と挨拶すると、彼も「グッ、グフーム」と応えます。

〈わたしはまじまじと、タイタスの顔をのぞきこんだ。
 すると、ますますタイタスの顔が若返り始めたのである。もう、若者どころではない。目が光をまして、好奇心に燃えているときのように金色を帯びてきた。顔つきが少年のようになり、目がくりくりとして、まるでいたずら小僧のような表情になった〉(『野生のゴリラと再会する』くもん出版)

 タイタスは両手を挙げて仰向けに寝転がりました。子どもの頃のタイタスの寝相そのものです。大人のゴリラは絶対にしないポーズだといいます。さらに近くにいた子どもゴリラをつかまえて「グフグフグフグフ」と笑いながら、レスリングごっこのように遊び始めました。これもありえない出来事です。タイタスが子どもに戻ったのだ、昔一緒に遊んでいた頃に戻ったのだ、と山極さんは気づきます。何か映画の名シーンを見るような場面ですね。山極さんは、人間は古代から『共感』という他者と同じようになるという心を獲得してきたと言います。この共感という能力は、人間同士でなくても、タイタスというゴリラも共感能力を持っているのでしょうね。自然の木や岩や草とも共感できるといいます。凄い力ですね。
老ゴリラ60歳超えのタイタスは、今はアフリカの空の下で、どんな生活をしているのでしょうね。

〈それを見て、私も彼と遊んだ昔を思い出して、体がざわざわと動くのを感じた。まさに記憶が体の中でよみがえった瞬間だった〉(「老ゴリラとの再会」、毎日新聞2013年10月27日「時代の風」より)
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昭和6年の今日、大磯別邸へ梨本宮殿下御成り。平成27年の梨本宮別邸は戸建て住宅が建ちならび、一戸十戸の光景が展開している。その隣の敷地にはジョサイア・コンドルの別荘があったが、現在では低層マンションとなり居住者を募集している。

玩物喪志 [遊び]

「名前のない道」赤木明登著の冒頭、『犬馬難鬼魅易』という言葉が出てくる。画家の松田正平さんの書いた短冊の文章だ。鬼や妖怪といったものを描くのは容易いが、犬や馬の様にありふれたものを描くのは難しい。馬は今では身近に見られなくなったが、身の回りにあるものを描くのは確かに難しい。それは日常の出来事をどれだけ見ているのかにも通じるのだろうか。本物の普通さで、普通の暮しの中で、しっかりと生きるという事。作家水上勉さんの語った言葉に、日本で戦争の気配が濃厚になった時期、都会で暮す人々は、その気配を感じる事に敏感でなかった時、都会から離れた、作家の在所の職人さんが、いち早く戦争に向かう世相の動きを敏感に感じていた。という話。

都会には情報が溢れ、鬼や妖怪に類した刺激的な情報が溢れ、人々は麻痺した世界に住んでいるのだろう。故に静かに時が流れている在所の方が、敏感に戦争の気配を感じることが出来たのだろう。
先入観に支配されず、裸の王様を見ることが出来る人々が現在どれだけこの国にいるのだろうか。
他の国にも裸の王様がいるのだから、この国にも居てもいいという論理には絶対ついていけない。

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つゆぞらにコーラのしずるとぶこのよ



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とげのあることばもおちしつゆのまち



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ぶろっくのさびたるなつをあめのつぶ



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けいじばんいまけいたいへつゆさなか



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ひょうしきなきかいろのまちにつゆのなき



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ふういんすこっかのひみつつゆのもと



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さびはてつのもえることなりとしるなつ



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なつにねるきといしとありたり



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ひそかにみえるものなつのひみつ



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おのまとぺこのくにのなつにまたうまれ

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