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5月26日 [世界]

岡潔さんという数学者の、数学する人生というタイトルの、本を読んでいる。

岡潔さんによる、「情緒」というものが必要だという話に大変興味がある。
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目の前に山がある。山は五月の霞に覆われ、様々な木々の緑が薄くなって見える。この見方は、一つの知的な見方。
樹々の緑は青みを帯びたものから、黄味や、赤み、灰色の雲は、紫みを感じる。
これが感覚的な見方。


この二つが、私たちの住んでいる世界。理性の世界の見方です。
それ以外に、見ている山を存在感と見る見方があります。
見ている山の空気や匂い、皮膚で感じる実感を、存在感といいます。

これらの他に第三の情緒と見る見方があると、岡潔さんは言います。
霞のかかる山々は、いいなあと見るのが情緒です。
私たちの価値判断は、本当はこの情緒から来ています。
その情緒とは仏教が、言及する世界です。

西洋は古くから物質の世界の探究が歴史となつています。
東洋や日本は、精神的な世界の探究を仏教を中心に探究してきました。
数学の研究とは、情緒を数学というかたちに表現しているのだそうです。

数学と情緒かなり離れた世界と、感じていたのですが、人という根幹の情緒が何か大事な気がすることは、読んでいて何となく見えてきました。

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蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉


明石の浜で蛸壺に入った蛸が見上げる天空の月、夜が明ければ命がない蛸の儚さ、月と海を見つめる人が詠んだ句か。「俳諧とは、浅きより入りて深きに入り浅きに戻る心の味なり」と芭蕉。
明治以後の俳句には、例外なく視覚的観点の句となるが、芭蕉の江戸時代の句にはそれがないと岡潔さんはいう。視覚的観点は何故生まれたのか。

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影人の動きに梅雨の匂いたつ むおん


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5月19日 [世界]

京都こころ会議の続きから。古代から人々は仮面を被り、その仮面の表は神が顕れてきたという。
しかし現代の仮面は、自分という内面を隠すものになったという。顕われることから、隠すことへ、典型的なのがサングラスだろうか。目の動きや表情を隠し、誰の顔かわからなくする。顔を布で覆い目だけを見せる人々もいる。仮面は何かに憑依する世界から、己を匿す世界へ移った。

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こころの古層として、アニミズムという、人間と「もの」との間にある深いつながりが今も残っていると、京都こころ会議では発言されたという。日本人に今も強く残る能力。ゆるキャラという、くまモン、ふなっしー、等にもアニミズムの感覚が濃厚だという。ふなっしーは、梨であるのに、語りかけたり、飛び跳ね、皮肉を言う。

日本で戦後最初にヒットした「リンゴの唄」は、「リンゴは何も言わないけれど、リンゴの気持ちは、よくわかる」とアニミズム的だという。

もっとプリミティブになると、私の祖先は犬だった。私は鸚鵡だった。といった異類婚等や神話にもつながる。能面の猩猩も、中国の架空上の動物が水の精になてったものだという。

人が言葉を使い出した遥か昔から、大人が石を蹴るのを見て、子供が「石が痛がる」と言ったり、石が痛そうにしているかのようにふるまったりとかがある。アニミズムは言語以前と言語との境目にふれる存在であるという。

オノマトペという日本では多い表現も、何かにアニミズム的な気配を感じます。音と言葉の接近を、ものが語るように感じるからです。さらさら、しとしと、ひそひそ、パラパラ、どんどん、びよーん。

今朝はこの辺で。

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猩々と河童と話す十字草 むおん






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ぴちゃぴちゃと五月晴なる天下した ムオン




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4月27日 [世界]

単眼の大口径レンズで夕方の庭先を見る。何枚ものレイヤーが画面を切り取るように、カメラのレンズがカミソリの刃のような画面を切り替えていく。竹すだれのレイヤー、網戸のレイヤー、その外の青い網のレイヤー。全てが重なり不思議な世界を浮かばせている。

人の目は絶えず動きこの世界を視つめて、脳に送っていることに驚嘆する。画像はそのままでなく脳で処理されているという不思議な世界。見つめているものは何なのか。それはどう再現されているのか。

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  御簾ごしの外にはほのか春の夕   むおん

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  網戸に捕まる春の心を睨む    むおん

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   ちり取の春の心を連れてくる   むおん


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    明かりが灯るのは春のきた家 むおん

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    手作りの針金引けば春灯り   むおん


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4月14日 [世界]

若冲という画家のここ数十年の人気は、何だろうか。4Kという高密度の画像の世界が日常の今、人が眼で観察して表わした痕跡にノスタルジーと敬意を感じるのだろうか。過剰なまでの表現は、細分化する現代では、かえってシンプルに見えてくる。
そんな若冲の作品、野菜たちの涅槃図に倣い、昆虫たちの涅槃図を作ってみた。10種のスタンプで生き物たちの魂の動きを求めてみた。





カオスから夏へ飛び立つ虫の影 むおん






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虫たちの哀しみ集う春の宙 むおん






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3月15日 [世界]

黒船が日本に来た時、ペリーは二本の白旗を海岸に立てて立ち去ったという。
二本の白旗に込められた意味は何だったのだろうか。
アメリカと戦えば、日本は必ず白旗が必要になる。砲艦外交の象徴的な一件として記された、白旗。
当時の日本人に、白旗の意味を知っていた人々は、どれだけいたのだろうか。
日本史上に知られる降伏を意味する白旗としては、戊辰戦争での会津藩、太平洋戦争末期の沖縄の少女が揚げたものと「白旗伝説」の著者松本健一氏は語る。
日本政府は、太平洋戦争ですら、実際に白旗を掲げたことは一度もなかったという。本当なのだろうか。無条件降伏とは白旗を揚げたことでは無かったのか。謎が残る。黒船以来から靖国神社の歴史も始まっていることに何かこの国の転換期の時代を強く感じる。
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国際法つくりし国と強き春 むおん




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3月14日 [世界]

AI(人工知能)は世界を覆い尽くしていていく。それは不可避である。シンギュラリティ論者は明るい未来を謳い、驚異論者たちはディストピアを予告する。それは鏡の裏表の世界なのだろうか。

昨日、コンピュータと人間の碁での戦いがあった。10の何十乗という予測の中からデイープラーニングを重ねたAIが勝利する世界。今も急速にこの世界は地球を覆う。戦争の国にも今は平和な国にも、すべての世界に影響力を発揮する怪物なのか。

今世紀が終えるまでに現在の7割の職業がオートメーションで置き換えられるという。今から200年前にはアメリカの労働者の7割が農園で働いていたという。凄まじ勢いで人間の職業はロボットに変わられていく。新たな職業が生まれそれもロボットに変わられていく。人間の本当に必要な仕事を探す手伝いを、今までの我々の仕事を肩代わりしてもらい探していこう。

WIRED VOL.20 特集 人工知能はどんな夢を見るか 未来都市の作り方 から

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  未来はなぜか懐かしい 過去はいつも新しい

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   新しい過去を探して自分が生まれた頃のカメラをヤフオクで求めた

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1950年生まれのドイツコダックのクラシックカメラ、RETINA013モデル。冷たく角ばった金属の箱にズシリとした重み。革張りが手にぬくもりを与えてくれる。昔はなぜか新しい!

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蛇腹の胴が静かに扉を開けるような動作で繰り出してくる。精密なカラクリ機械。
距離計も露出計もましてやオートオーカスも搭載していない、世界で初めて35ミリフィルムをパトローネに収めて使用できたカメラ。何かとてつもなく美しい。

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手持ちのiPhoneで、レチナの使用方法を探す。アプリに距離カメラという距離測定ができる無料アプリを入れる。序でに露出計アプリも二つほど入れる。昔は確かに新しい。大型のカメラの時代から小型で移動や持ち運びが簡単なカメラの時代に半世紀以上前から進化を重ねた。

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  人はシャッターを切る前にと、その後にい多くの時間と頭を使った。それでも大した写真が撮影できるとは限らなかった。多くの失敗の世界から、今では失敗がない世界へ移ってきた。

 それでも自然界や世界の全てを人は制御できない。終わらない戦争。トイレのない原発。経済のコントロール。国民の統制。総ては想定外の世界のが無限に多い。

 



          AIを生み人間の願う星は春   むおん





3月1日 [世界]

「もの学」という、興味あるホームページの中で2015年年報の中に『心の練り方』鎌田東二さんの書かれた文章が面白い。
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明治という近代日本で、文学という世界を推進させたのは多くが敗残者たちだった。とある。
敗残者とは官軍側の勝者でなく、挫折者側の賊軍の中から多くが文学という推進者になったとある。
勝者の人々は政治経済を索引し運営する側に回り、近代を築き上げていった。
対して敗者の、近代から外れた人々と文学、芸術、宗教との関係は根深いものがあるという。

戊辰戦争や明治維新では、日本人同士が勝者と敗者になっている。このことはかなり重要なことのように思えてくる。敗者の中でも明治政府に徴用されたものが多くいる。彼らは勝者に寝返ったのだろうか。それとも勝者の中に優れたものが少なかったからなのか。ともかく太平洋戦争前までは、この国に勝者側と敗者側の二つの世界があった。

太平洋戦争では日本は敗戦国となった。すべての国民が敗者側に立った。どこかで日本は負けてはいないという「勝ち組」という集団が存在し、今でも終戦という名にこだわる人たちもいるのだろう。
ここまで読んできて、勝者と敗者の間に巻き込まれた市民という存在は、敗者に含まれるのか勝者なのか考えてしまった。国家が存在するなら、勝者と敗者のみの世界なのだろうか。

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最近もらった手紙の中に、『国連憲章の第107条、敵国条項』に注意されたしという内容があった。
ドイツは敵国条項に長年対処してきたが、この国はワキが甘いという。この国は敵国条項を無いものとして国際社会で振舞ってきたので、いつの日か切れる時が来ると指摘がある。

敵国条項とは何か、
日本は依然として、国際連合憲章第53条、第77条、第107条、いわゆる「敵国条項」に基づく「第2次世界大戦中に連合国の敵国であった国」(枢軸国)である。1995年12月11日の総会で賛成多数によって「敵国条項」の削除が採択されて、死文化していると言われてはいても、これらの条項は、未だに削除されていない。ドイツ第3帝国とイタリアは「国体」が変わっているので、「敵国条項」の対象から外されているのに対して、日本だけは唯一、「敵国」であるが故に、「戦争」はもとより「国際紛争を解決する手段としての武力行使」は、認められていない。日本国憲法でも、そのための「明文規定=第9条」が存在している。
 この状態の下、つまり「敵国」のままで日本が、「集団的自衛権行使容認」の「憲法解釈変更」を「閣議決定」して、「平和維持活動(PKO)」の枠を越えて、「多国籍軍に参加」したり、あるいは「国連平和維持軍(PKF)に参加」したりすることは、「敵国条項」に真っ向から衝突することになる。もし、日本を「武力行使可能な国」にしたいなら、何をさておいても、「敵国条項」による「敵国」から日本を正式に外すか、「敵国条項」そのものを削除してもらうことが、先決である。とあるのだが、、、、、

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2月11日 [世界]

数ヶ月前に、テレビを見ていて驚いたことがある。「恕」という一文字がその画面い映し出されていた。
私事ながら数年前に求めた茶掛けのような一文字の掛け軸がある。「怒」という一文字だと思い込み、大変気に入っていた。軸には平和で前向きな文字が多い、そんな中で怒りを忘れぬように、「怒」の文字が自分を元気付けてくれた。怒りを忘れた人々、怒りを出さない人、怒りのとれた丸い顔。
怒りがいけないことのようにしまわれた時代。自分だけは、この軸の「イカリ」を大切に使おうと眺めていた。そんな自分の思い込みがテレビで一瞬に砕かれた。

「怒」は「恕」であった。何ということか。「如」一文字はよく見かける。

「恕」はゆるす、おもいやる、はかる。恕とは如の心、即ち、一切を包容して進歩向上せしめんとする心のこと。

「怒」は「いかる」、「おこる」

ア:「不満・嫌な気持ちになる事があって、我慢できない気持ちを
    表す」、「腹を立てる」(例:憤怒)
イ:「叱る(目下の者の言動のよくない点を注意して、今後、同じ間違い
    をしないようにしっかり伝える)」
ウ:「責める(間違いや欠点などを取り上げて、言葉で追いつめる)」

又と口の違いだけで、非常に似た字ですが意味は正反対です。しかし白川静「字通」では訓が両字共に「イカル」とある。日本語の哀れが、あはれで、天晴れと同じあはれから始まっているのと同様に、「恕」と「怒」は近いものがあるのかもしれない。そんなことはないか。
大いなる勘違いから、あることが見えてきた。

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数日前の箱根は山の雪が輝いていた
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ガラスの森の美術館の硝子の橋も美しかった
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堰を落ちる水も冬の輝き
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淡雪のような水の泡
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落ちるひたすらに
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水の精の聲
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  戦争と書いて、戦争という字を、平和と読ます狂気の人たちがこの国には沢山いる!
  裸の王様のことを、正直に「裸の王様だ」と叫んだのは、子供。
  この国では直ぐに、子供から大人にされしまう。本当の子供はいないのか!



ネットで検索した2011年のある日の出来事に、「恕」と「怒」の白い幟に書かれた光景が出てきました。非常に印象的です。以下その記事からの引用です。

※経産省周辺(3つのテント周辺)は福島原発事故に怒る福島の女性たちと支援の女性・男性で一杯でした(朝10:00-15:00)。怒福島隊(いかり)と恕福島隊(恕=読み方はじょ、意味はゆるす)の文字の大きな白い旗が何本もひるがえり、その周辺にたくさんのノボリ旗・横断まくが林立していました。



2月10日 [世界]

「戦争」というビジネスチャンス
という記事を週刊金曜日1075号の、風速計というコラムで読んだ。
日本の若者がガードマン会社に就職し、彼は海外勤務が多いという。
仕事内容は、ライフル銃の扱いなんかの「軍事訓練」のようなものが多いという。彼いわく「自衛隊は人は守れても人を殺せるわけじゃない、自分達は自衛隊より人を殺すのが上手い」とのこと。
今年の夏に、ある国に行く予定だが、とても高額な給料が貰えるのだという。
安保法制成立後、一部の業界にとってビジネスチャンスに溢れる国に、我が国はなった。
イラク戦争は、「民営化された戦争」と呼ばれ、給食から暗殺までが外注化されているという。
世界中の貧しい国から集まり、月収十万円程度で働く戦場出稼ぎ労働者。彼らは死んでも戦死者にはカウントされない。10年以上前イラクに自衛隊員が派遣された時、現地に棺桶が持ち込まれたという話は有名だ。
10年前から、「死の制度化」は完了していた。今現在も葬儀社などで研修が行われているのかもしれない。一見「戦争」と無関係に見える業界を調べてみることで、見えてくるものがありそうだ。情報求む。

で記事は終わっている。着々と知らない世界でことは進んでいる。満洲帝国建設の時代、日本の農民人口は多く、貧困で、その貧困者たちを救うのは、政治家たちでなく、軍人たちの思想が最も近かったという話も近年に知った。国家とは何か、企業とは何か、考えさせられる。

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光のレースに笑みする白兎 ムオン


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ワニ騙し裸にされし冬兎 ムオン




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月の兎地獄の神の腕より ムオン






平成28年1月1日 [世界]



明けましておめでとうございます
皆々様今年もどうぞよろしく
当ブログお引き立てのほどお願い申し上げます





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