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2月26日 [文字]

今日は写経の三枚目。右に余白があるので、詠みのため仮名をふり、区切りを横線で書き込みました。筆が奔ると、経文の読経の音が何処からか聞こえてきます。一文字書くと次の文字が何か心がときめきます。精神統一には絶好の時間です。
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箱根阿弥陀寺よりの般若心経、御住職が、二時間以上の時をかけて版を押されたものとか。
各印の間が、その時を物語るようだ。

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相模湾の浜辺で演奏中を撮影の様子。
どんなイメージビデオが出来るのか?image.jpeg

1月26日 [文字]

般若心経の写経をしました。紙に一刀一刀刻み込むように書き終えると。心が洗われる。不思議な世界だ。リズミカルに心も踊る。身体が軽くなる。不思議な不可思議な世界。
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六月十五日 [文字]

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飛騨高山の古い町並みで、この看板を見た。現役の医院なのだろうか。30年以上前の鳥取を訪ねた時、奥様が真冬に産気ついて、リヤカーで大雪の中を産院まで駆けつけ無事出産されたという話を思い出した。そういう自分はお産婆さんが家に駆けつけてくれる前に産まれ出てしまったと親に聞かされたことを思い出した。今は完全看護の環境で産まれてくることが多い日本は幸せな世界だと思う。

紀元前10000年に凡そ600万人だった世界の人口が、2000年前には2億5千万人になり、今では71億人を超えて、2050年には95億人に達するそうだ。
2050年といえば、それより5年前の2045年、今から30年後に、シンギラリティという特異点に達するという時期だ。シンギラリティとはコンピュータの演算能力が人間のそれを凌駕し、人間の知恵では将来を見通せなくなる臨界点の時期の予測なのだそうだ。今から30年で現在の世界の演算能力の100万倍のパワーをコンピュータが持つことになるという。

昭和14年(1939)のこの日、国策母ちゃん43名の、表彰伝達式が湘南大磯の警察署で行われたという。国策母ちゃんとは、どんな母達だったのか。興味深い。1939年とは世界でどんな状況だったのか知りたい。同年8月8日:厚生省が多子家庭を表彰するとの要綱を発表。
9月30日:厚生省が「結婚十訓」を発表した。兵隊の確保のため、早く結婚させてたくさん産ませるという考え。「産めよ殖やせよ国のため」。他に「なるべく早く結婚しましょう」「式は質素に届けはすぐに」というのもあった。
ということは、「国策かあちゃん」の43名は子沢山の母だったのではないのだろうか。

ノモンハン事件、日本軍完敗 5月11日、満州と外蒙との国境付近のノモンハンで、外蒙軍と日本の関東軍・満州国軍が武力衝突を起こした。ソ連軍は最新鋭の戦車部隊、重砲部隊を投入し、日本の第23師団約2万人のうち約7割が死傷し師団が消滅した。9月15日、モスクワで休戦協定が成立。6月16日:ネオン、パーマネント廃止など生活刷新法案決定。8月15日:東京都、「隣組回報」の発行開始。

結婚十訓とは、①一生の伴侶として信頼できる人を選べ
②心身ともに健全な人を選べ
③悪い遺伝の無い人を選べ
④お互いに健康証明書を交換せよ
⑤近親結婚はなるべく避けよ
⑥晩婚を避けよ
⑦迷信や因習にとらわれるな
⑧父母長上の指導を受けて熟慮断行
⑨式は質素に届けは当日
⑩産めよ殖やせよ国のため
ということで、ナチスドイツの[配偶者選択10カ条]というのを手本にしたというが恐ろしい国家統制だ。2015年は、1939年の世界に限りなく重なってくるのは何故だろう。


四月十日 [文字]

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昨日今年最後の花見に北鎌倉に出かけた。化粧坂の切り通しを通り源氏山に出た。途中新しい道路案内が建てられていた。中国語、韓国語、英語、日本語、明快で美しい書体だった。その山の中の案内板に薄桃色の花びらが数片ひらりと乗っていた。ペンタックスQのボディにDマウントWOLLENSAK 13MM F1.9のレンズをつけて、このレンズ親指大の大きさだが金属性でずっしりと重い。曇りがありレンズに傷があり霧がかかった世界しか撮れない。わずかワンコインの値段のレンズだが、最も好きなレンズの一つだ。開放以外で撮ると尚いけない。いつも開放で滲みと霧の世界を楽しんでいる。鎌倉の山中で尾根道の散華を見ながら撮った一枚。帰宅すると電子ブックの先駆けボイジャーから嬉しいニューっすが届いていた。『知日』素敵なタイトルの中身は是非リンクしてお読みになってください。
http://r.binb.jp/epm/e1_2868_12092014050620/

鎌倉駅近くのスターバックスでお茶をした。どちらからの店の人の問いかけに「源氏山からです」店の方曰く「今日あたりからプールサイドの八重桜が今開き出したところです。どうぞゆっくりお休みになっていってください。」側には大きな藤棚が見えたプールの水の青さに、この家の主人だった横山隆一さんのプールに飛び込む姿が、夏の日の鎌倉とともによぎった。
開店8年目だという、鎌倉らしい優雅なスタバ、一号店のシアトルの店を訪ねることの出来る自分はいるのかと思った。

八重桜とけてプールの素足かな  さいれんと

1839 [文字]

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1839年今から173年前の天保10年、関東地方では金環日食が見られたという。記事が朝日新聞昨日の夕刊に載った。正確には『金環見えた 関東では173年ぶり』昨日のブログで、137年前の金環日食と記したので、どちらかの年号が間違いではないのかと気になった。以下にネットから拾った年表を貼付けた。

日本の皆既日食 年表
2012年05月21日 金環日食
1963年07月21日 皆既日食(日本本土で見られた20世紀最後の皆既日食)
1852年12月11日 皆既日食(京都で中心食)
1839年09月08日 金環日食
1742年06月03日 金環日食(京都で中心食)
1730年07月15日 金環日食(京都で中心食)
1210年12月18日 金環日食(京都で中心食)
975年08月10日 皆既日食
628年04月10日
248年
247年(卑弥呼が死亡したとされる年)
どうやら1839年のが事実のようだ。173年前が、137年前に間違って書き込まれ、巷に広まったようだ。この場合、出典が重要なのだが、真実はどうなのか。
ある広報では173年前に訂正するという、お詫びのお知らせが載っていた。こちらのブログでもネットで安易に137年前の記述を信じ書き込んでしまった。ネットであれ、紙媒体であれ、間違った情報は巷に多く存在する事が改めて身にしみる。
其の原因は、活字や、手書きでない文字フォントが、潜在的な権威性や信用性を持っている事が原因だと思う。携帯やツイッターの話し言葉では、何か信用度は低まるのだが、活字やフォントの尤もらしさがあるのだろう。
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確かな情報や、データとは何か最近変えすぎてしまう。疑ってかかるくらいでいいのだろうが、311以後信用出来ない情報が多すぎる。911では身直に感じなかった、確かな情報と言う判断力が、昨年の3月以来より不安定になっている。疑心暗鬼でマスコミの情報には必ず裏があり、発信の理由が存在する事を気にかけるようになった。中には知らなかった方が良いという情報も多い。
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金環日食に沸き、スカイツリーオープンに沸き上がるニュースの在り方を見ていると怖い気がする。何か表層的なものが巨大な力で作り上げる世界が見えて来る。
スカイツリーが本来造られた目的と、其の未来が創りだす世界とは何なのか。あるキャスターが寂しそうなコメントで、よりよい電波を送り出すスカイツリーの役割があるのです。と言っていた姿が妙に気にかかった。より良い電波の姿とは何なのか。其の姿が私には見えない。見ない方が本当の姿が見えてくるのかも知れないのだが。
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天保十年の記録が三鷹の天文台に残されていたとNHKニュースにありました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120519/k10015242411000.html
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壺の中の宇宙を見る五月 
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近すぎると見えない真実の樹
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格子から覗く世界は美しいのは何故なのか
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日常の裏側に非日常は存在する
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走り抜ける光景の確からしさの証明
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木漏れ日が重なる影にこそ真実はいるのか

1953 [文字]

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1953年5歳の私は、文字が書けるようになっていたのだろうか。最初に書いた文字はなんという字であったのか記憶にない。多分ひらがなであり、自分の名前か、「あ」であったのではないか。最初の文字は声に出しながら書いたのではないのだろうか。祖母は文字が読めないので小学校に入った私が、新聞を読むのを楽しみにしていた。文字は書く事と、読む事、見る事の、3つの動作があったのだ。子供が最初に書く文字は左右が反対にひっくり返っている事が多い。視覚的に見たものを脳がひっくり返して認識しているのだろうか。興味深いところだ。ある児童作家の本の中に、明朝体の止めの部分だけを書く子供が登場し、面白く思った。文字の中で強調して書かれる最後の止めの部分が、その子には強烈に記憶されているのだろう。明朝体の横線は繊細な程確かに細い。
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漢字が読めるようになる前に、漢字に振られたルビを読むのが面白かった経験がある。その総てにルビがある本が経本だった。仏壇の脇に置かれた経本を広げ、お輪を軽く叩き、ルビを読み上げる。唱うようにお経の文句をあげるのは、僧侶の読経が唄に近いと、子供心に感じたからだ。大人達はそんな自分を見て、感心した子供だと密かに言うのを内心嬉しく思った。文字は唄のように読み上げるという事を知り、後に朗読、黙読、子供への本の読み聞かせと繋がっていった。
読み上げたものを、逆に書くという作業で、それは漢字がふさわしいのか、ひらがなか、カタカナかと悩むときがある。漢字には漢字の思いと、その場での書体や、配列での印象が大きく違って来る。
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品がある書とは 其のまわりの空間が生きている事だという話がある。
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空間を広くとった文字は確かに品がある。何が書かれているかは近づかないと認識出来ない。か弱い書体が好きだたが。
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空間を埋め尽くすような書体は、目に迫って来る。江戸文字もこの仲間なのだろう
。ひらがなが空間を漂うのに対し、江戸文字や勘亭流の文字は存在感が強い。
ネガとポジの関係のようだ。文字の地の部分と、文字との関係も面白い。
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街に出ると看板が気になる。手書きの文字が何故か好きなのだが、最近はコンピュータで作られた平面的な文字が多い。文字は手作りに限ると思うのだが。
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美しい書体の文字に出会うと、こちらの背筋迄延びて来る。
文字は書き手の心を、充分に伝えてくれるものだと思う。
心が流れ出した軌跡のように。
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いつか中央線の駅から見た文字のある光景
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甲斐駒ケ岳と富士山の姿を背景に
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