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12月20日 [空]

冬の空を見上げる
落ち葉が天に向かうように舞い上がっていく
刷毛で描いたような雲にむかい
空のキャンバIMG_0380.JPGIMG_0377.JPGスに広がる

今日は69回目の誕生日

69年前の空は、どんなだったか勿論知らない。











12月19日 [空]

冬雲のドラマ

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近所で植木屋さんが忙しそう、今頃はこの街でも植木屋さんの鋏の音がよく聞こえる。
散歩の途中、松の剪定中の植木屋さんの落とした松の枝を、声をかけて戴く。
枝振りの良い松を選び持ち帰る。裏山の梅林の白梅の蕾の枝をこれも少しだけ戴く。
梅林は荒れているが枝にはびっしりと蕾。庭の水桶に入れ正月を待つ。
クマザサか真竹の枝が入れば松竹梅の出来上がり。
花屋ならぬ自然の厳しい環境に咲く命をいただく。
空の雲は、雪雲か畝るように舞うように冷たい空を覆い尽くそうとしている。
師走のように心も走り始めた。

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1月28日 [空]

アインシュタインが第三次世界大戦は、どのような武器で戦うかわからないが、その次の戦争は石で戦うだろうと言っていたという。石は古代から武器として使われてきた。一対一の喧嘩が、礫うちの集団同士の戦いになり、境界をめぐり国同士の戦争までになる。戦争をする国の中でも内乱や論争があり激しく分裂を繰り返す。アインシュタインが予言した、石の武器とは、国の代表同士が石を持ち戦う喧嘩の原点なのだろうか。

古く集落に嫁入りがあると、小石を花嫁に投げる慣習があったという。打ち所が悪く大怪我をした花嫁の記事が昔あった。当時は嫁入りも命がけだったのだろうか。









            放物線描く小石は冬の虹    ムオン




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      礫持ち平和のための血と雪と  ムオン


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1月23日 [空]

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世界の上に空があるのか、宇宙の中に空があるのか、どちらも事実なのだろう。
大気圏という名の中に繰り広げられる世界を見ていると見飽きない。
見知らぬ機体に 期待が起きる
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見知らぬコードに魅かれる 情報の道か
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雲が走る 空も走る
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 冬の陽を浴びて氷の雲が行く  ムオン







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十二月十八日 [空]

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今の空という存在は、すぐ過去の空になってしまう
ほんの今の空でも 過去になり 消えてしまう今

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            一瞬の空の輝き冬ひかる   無音










十一月二十一日 [空]

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スーザンソンタグの『写真論』の中で、19世紀の美学者でマラルメの言葉に、「世界のあらゆるものは本になるために存在する」という言葉を引き継いで、ソンタグは「今日あらゆるものは写真位なるために存在する」という。アフリカの動物狩りの人々が現代では、巨大な望遠レンズで獲物を狙う行為の指摘に何か胸を突かれる。街で望遠レンズで撮影する人の本性と、スナイパーの本性が重なる。
カメラも世界を欠けさせていく武器なのだ。
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写真とは何か。ソンタグを暫く読み解こうと思う。



         秋空をカメラのうちに吸い込んで   無音







十一月二十日 [空]

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空の色を浮かべる。この町の名誉町民のお一人が詠んだ「海の色は陽射しで変わる」という言葉と同時に陽射しは、何で変わるのか考える。空の色は、雲や太陽や風や雨や雪や雷やすべてで変わるのだろう。
カメラのレンズのピントをずらし、イメージの空の色を探す。液晶画面とデジタルの空の色と実際人間が見る空の色は異なっているのだから。好きな空の色を探す。色のピグメントとピクセルの関係は何なのだろうか。空気とは大気とは何なのだろうか。情報とは何なのだろうか。遠い宇宙の彼方から運ばれてきた情報という姿を思う。生命とは何か。生命には色があるのか。
図書館でスーザンソンタグの『写真論』を借りてきた。彼女が日本に来て都会の桜の花の造花が電柱に飾られているのを見て、日本人は桜を愛する国民と語った言葉を思い出す。
アマゾンで、スーザン・ソンタグ最後の日々『死の海を泳いで』を同時に読み始める。
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           遥かなる海を越え行け冬紅葉       無音








  

十月十九日 [空]

何か巨人に見下ろされているように、見上げたら何でもない光景なのだが。
自分の精神状態で、周りの光景も反映して見えてくるのだろう。
明るい服を着れば、元気な気持ちになる。老いを感じ出すと明るい世界が眩しく見えるが、必要な世界なのだろう。秋の空は高い。どこまでも高い。

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             秋空の底を見上げて深呼吸   むおん





八月一日 [空]

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昨夜は3年に一度しか観られないという、ブルームーン。一ヶ月のうちに二度満月が見られる時の満月をブルームーンと呼ぶそうです。極めて稀な出来事や現象を人々は古来から、吉か凶かと恐れてきました。月を眺める望遠レンズのファインダーの中では勢いのある雲の流れが横切り、月の色が大気のせいか雲のせいか赤くなったり、青白くなったりと色々な見え方をしました。

昨日生卵を鏡の上に立てる話を書きました。一晩中静かに立っていた卵は、倒れる卵になるとき、悠然と慌てず騒がず、大自然の原理のままに任せきって倒れる。「立っているものが少しの外力ですぐ倒れるということは、立っていることにとって不安定であり、不安感を伴うことは確かである。しかしその反面は、わずかなエンエルギーが働くだけで倒れることができる能力を持つ、自分の姿勢や位置を変える可能性を持つ、つまりは動きの能力が高いということになるのではないだろうか。」立つとは動きの能力が高い静止なのだ。
止まっているけれどエネルギーは満ちている状態。

以上は布施英利著「ハイパーアートの解剖学」より。同著から『能』の運びは、動く状態。構エは、静止する立ち姿の状態。能の稽古では摺り足で歩く所作と、静止した状態の上下と前後にかかっての力の中での均衡が、あの能の構エを生み出すのだという。『立つ』ということの地球の重力との関係。月の力にも畏怖を感じる朝です。

今日から八月 当ブログの、ソネブロの使用領域も最大値に近ずています。引越しするか閉じるか検討を開始します。

七月十六日 [空]

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台風が近づいているせいか、積乱雲が地上から湧き上がり北の空一面を覆っていた。巨大な雲の壁が聳り立つ。近所の小学校の生徒の遊ぶ声が異常に近くに聞こえてきた。

『グンカン グンカン チョーセン』『イッポントッテ ハワイ』パシッ!!!

何か威勢が良いが何だろうかと耳を澄ます。『グンカン グンカン チョーセン』頭の中で訳してみる『軍艦 軍艦 挑戦』。??? 軍艦巻きに挑戦する子供 寿司屋の替え歌か?
軍艦巻きって、軍艦の姿からきているのだろうか。『一本とって ハワイ』トリスを飲んでハワイに行こう!って古いCMがあった。わからない 何なんだろうか。
最後のパシッで、子供達は盛り上がった。囃し立てる勢いが元気が良い。何をしているんだろう。答えはすぐに見つかった。ネットの中で。

検索用語に『グンカン グンカン チョーセン』と入力した。
軍艦じゃんけん とでる。ウイキペディアから以下
様々なローカルルールが存在するが、以下は基本的なルールの紹介である。
1. 二人で遊ぶ。
2. 手の構成はじゃんけんと同じ。ただし、グーは「軍艦」、チョキは「朝鮮」、パーは「ハワイ」と呼ぶ(ローカルバリエーション多数)。
3.まずは親決めのじゃんけん。「せーんーそ!(戦争)」「ぐーんーかん!」のかけ声(ローカルバリエーション多数)とともに、じゃんけんを行う。どちらかが勝つまで行い(あいこでもかけ声は変わらない)、勝った方が親となる。親はかけ声を担当する。
親は「軍艦」「朝鮮」「ハワイ」のうち任意の手をかけ声とともに3回出す。子も親のかけ声に合わせて任意の手を3回出す。これが1セットであり、以降繰り返される。ただし、1セット内の1回目と2回目の手は同じ。また、2セット目以降の1・2回目の手は、一つ前のセットの3回目の手と同じ。その間片手どうしを握り合い勝ったほうがしっぺをする。
しっぺで痛くなり負けるか。何回か勝ったほうが勝ちになるようだ。

なんと70年くらい前の日本ではやったジャンケンだという。平成の今の子供達は誰から習ったのかと驚く。我が家の息子たちは今は三十路を過ぎる年代、この子供達も小学校の頃やっていたよと家内は平然という。知らなかった。30年前の我が家の子供達が軍艦ジャンケンなるものをやっていたとは。記憶にない。そういう自分も子供の頃は軍人将棋なるものがあり、普通の将棋の駒でないゲームに参加したことを思い出した。 70年も昔のジャンケンが今も生き延びて
平成の子供達に遊ばれる光景に何か怖いものを見た。このジャンケンが強かな生き物のように感じられる。歴史の数々の事実は一つしかない。人間が歴史を語ると、その生まれや生き方で様々な歴史が語られる。

言葉の暴力というのは、今は死語になったのか。汚い言葉を平然と使う時代だ。
言葉の意味を探ると今につながる重い歴史もある。軽やかにジャンケンに興じる子供たちに、言葉の重みを知ってほしいと心底感じた。戦争ジャンケンとは何なのかと。自分自身も含めて。それらを差別ゲームとして禁じることだけでは解決はしない。その意味を長いことかけて問うて行こう。


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