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七月三十一日 [人]

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『舞踏とは命がけで突っ立った死体』とは舞踏家土方巽の言葉だそうである。
ヒトが立つということは、地球の重力に対し常に関係性を持ち生きるための状態だ。
卵を立てると言う行為に興味がある。生卵は鏡の上でなぜ立つのか。それは卵が生きているからか?一晩おいても卵は立ちつずけているという驚異。そんなことをウインドー越しの一着のドレスに思った。『舞踏とは命がけで突っ立った死体』とはキリストでもあるというのだが。

昭和30年(1955)湘南大磯で仮想大行進開かれ、20万人の人出。宣伝カーはラディオ東京、日活、ライオン歯磨き、明治製菓等。仮装コンクール一位の賞金は一万円。
ヒトには古代から変身願望が潜むのか。

七月三十日 [手紙]

『歴史とは 現在と過去の間の尽きることを知らぬ対話』
こんな文字の活字を今朝は追っている。ご近所に98歳のご老人が居られる。彼は夏の今頃になると多くの戦友のことを思い出されるという。戦友の誰かはわからないが声が聞こえ、70年以上前の世界を思い出されると、両目に溢れるほどの涙を浮かべ、声が嗚咽に変わる。

その涙の両眼で、ご覧になり、耳で聴き、ものに触り、ものを食べ、家族を思った世界や、女性たちを愛し、子供たちを愛した世界はどんなだったのか。私には決してわからないが、その世界から今まで生きてきたという御老人は私の目の前にいる。歴然と存在する。その存在感は恐ろしい。

信長が生きた時代、そこに生きた人々は、信長という名を聞いただけで恐れおののく恐怖を持ったという。信長が死んで数百年後、信長は歴史上の英雄となり、恐怖を覚えた人々の歴史は残っていない。今戦争体験者で当時を語り、生の肉声で、皺だらけのその顔と手振りで語ることのできる人は戦後70年非常に少なくなられている。歴史の証人の体験や教訓を受け継ぐ最後のチャンスとも言われている。

記録技術が進んだ現在、ビデオや書物での記録も重要だが、生の時間を共有させていただくことは何よりも大事と実感する。記録はいかようにも編集され、好きなように時代に合わせ誇張されるからだ。

冒頭の言葉は、英国の歴史教授のカー先生が言った言葉だそうで、歴史とは良いところも悪いところもきちんと正確に書くべきという教えも含んでいるそうです。歴史の証人たちがいなくなると、歴史修正主義者たちが、いかようにも歴史を編集始めるのだそうです。
何が今修正され、世の中に浸透しているのか。修正される良さと、修正してはならない点の区分けは、証人たちがいなくなった世界ではより厳しくなるのではないでしょうか。
国家という名の怪物が、戦争で今も心の中で戦争を終わらせていない個人という弱き者を摩擦してしまうという危惧が湧きます。

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不思議な家の情景です。三角形の大きな屋根は少しずつ違います。新幹線で神奈川県の平塚市の田園光景の中の丘陵に建てられた住居群です。屋根は三角がシンボルのように天を指しています。強烈な個性です。マンションの四角い塊にもシンボル的に三角の小さな屋根が載る光景も目にします。インディアンテントやキャンプのテントでも三角形は多く見かけます。なぜなのでしょうか。

大正3年 湘南大磯の北本町で、浅草から『玉乗り興行』の一団が興行を開始。小さなサーカスの趣か。

七月二十九日 [花]

大正3年湘南大磯に、天幕張りの西洋料理店開店する。大磯警察署前の空き地で夏場の客を対象に、『カフェー太陽』という名の西洋料理店。天幕の生地は木綿か麻で純白か生成りだったのだろう。真夏には白い開襟シャツの紳士淑女たちが似合う。
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鮮やかな色調モードで真夏の花を撮る。陽光に影が底知れず深い世界を見せている。

昭和3年の大磯駅から昇降の避暑客7月27日3400人、28日5000余人、土曜と日曜日だったのだろうか。海の色は濃いブルーだったのだろう。入道雲は幾つも立ち上っていたのだろうか。
熱い砂の匂いと、潮の匂いが漂ってくる光景だ。

七月二十八日 [光]

先日箱根に一泊した部屋の窓から、緑の濃い蔦か羊歯系の植物が朝日に染まっていた。
ガラスに映った行灯と、蔦の緑をカメラで狙った。マグリットの絵画の世界のように、画面の中に朝と夜の時間が写されたような気がした。今も高速で回転する地球という星の表側と裏側は昼と夜の対比。

平成27年の今日午前8時の室温、気温30度湿度93パーセント。空気を掴んで絞れば水が滴り落ちるような蒸し暑い世界。

暑中お見舞い申し上げます 
山の気温は下界より5度低い快適空間でした
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8月が近ずくと戦争関連の記事やニュースが目につく。特に今年は憲法や戦争法案をめぐり国が動いている。
 
高校生に向けて開かれた講義をまとめた『それども、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子著
朝日出版社刊を読みはじめた。非常にわかりやすい目から鱗の何枚も落ちる思いがする。

昨日、『1945←2015』若者から若者への手紙 ころから編集部刊が届いた。
今を生きる2015年の20代の若者から、20代を1945年戦争時代に過ごした若者に当てられた手紙のやりとり、戦後70年から100年後への未来のために読まれるべき一冊。

『GHQと戦った女 澤田美喜』青木富貴子著 戦後とは何だったのか、人々の発言でよくわかる。戦後は今や、戦前の時代に入ったのかもしれない。人間とは何か深く浅く愛おしい。

自省を込めて一句浮かんだ 『戦争をいじくり回す夏が来た』無音

明治40年のこの日、湘南大磯の坂田山の滝開き、避暑客の散策地にと高さ四丈の滝と噴水を作り解放。滝は12メートルで急斜面に人工的に作られたものだろうか。


七月二十七日 [海]

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今日は大安吉日、目出度いことがあって東京駅まででかけた。平成27年7月27日。或る記念日。
猛暑の最中だが、快晴の一日。母なる海は夏空を反映して輝いていた。

七月二十六日 [海]

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夏の朝の海。気怠さの昼の熱が熱帯夜を経て残る海。
霞は熱か。今日も日本列島は猛暑地区頻発か。

七月二十五日 [山]

湘南大磯の、こゆるぎ海岸から箱根の山を望んだら、右手の大涌谷の噴煙が見えた。
相模灘越しの箱根の遠望と、昨晩仙石原から見た大涌谷の光景。約2キロかロープウエーのケーブルから枯れた樹木が望遠レンズの彼方に見えていた。
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七月二十四日 [海]

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大正15年(1925)湘南大磯町貸家貸し間は271軒で、予約済み200軒余。
昭和7年(1932)大磯町滞在の外人が増加。イギリス、ロシア、アメリカ、ドイツ等。

アオバトの体の色はモスグリンで苔の色に近い感じ。お腹の白は空に溶けるための色か青白い白。雄の肩の葡萄色は何が原点か美しい。自然の配色。海との配色。今朝山でアオバトの声を聞いた。海は靄が濃く漂っていました。

七月二十三日 [海]

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昭和8年飲料水不足の湘南大磯。茶屋町から下町の井戸枯渇。大磯小学校内の井戸が救い。
此の町は大磯丘陵の麓にあり岩盤は硬い。水は山から一気に海までの間を地下水や川になって注ぐ。そのためか井戸や池が多く、水不足にもなりやすかったようだ。地形により一年中水が豊富な井戸もあったようであるが、町全体の水不足には供給が足りず、水売りの人々が隣町からやってきたケースもあるようだ。地下を流れる水脈の地図でもできたら面白いのだが。

アオバトと家鳩を見分けるには、飛ぶ鳥の体が白く羽が黒っぽければアオバト、その反対に体が黒く羽が白ければ家鳩だという。アオバトは人には近づかない用心深い鳥だ。

七月二十二日 [海]

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アオバトたちが滑空して岩礁に着陸寸前、鳥たちの姿は流線型の矢じりのように、羽を窄め頭を一直線に揃え、弾丸のような形になる。一斉に弾丸のような、最新型の新幹線の頭のような姿で数十羽が着陸態勢に入る。尾羽をフラップのように広げ翼を体に煽るように広げ岩礁に降り立つ。この様々な仕組みを彼らは何千年、何万年かけて習得したのか。
素敵な飛行を見て胸がワクワクしてくる。真夏の海の朝に撮影。

昭和24年国鉄主催の海浜カッパ列車、400人を乗せて湘南大磯に到着。歌手貴島正一さんたちの歌とともに海岸でのど自慢大会、遠泳大会催しで楽しむ。

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