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1983 [本]

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1983年岩波書店編集部編の、「これからどうなる 日本・世界・二十一世紀という二十一世紀はどうなるか、446名の方々が書いたものがある。定価は1000円今から30年程前の本になるのだが、花見をしながら開いてみた。花冷えの中の花見の場所は、神奈川県中井町の公園だ。広いグランドでサッカーや野球に興じる人々がいた。前方中央に雪をかぶっているが春の気配の大気の中の富士山が見える。右手に小さく金時山のとんがりが見える。桜は三分から五分咲きの段階。
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午前中に俄造りの花見のおかずを作った。タマゴヤキ、裏山の蕗の煮付け、ちび厚揚げの煮物、同じく焼き厚揚げ、ちび点心、以上にハムパン。
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冒頭のこれからどうなるから、ボロボロ 長田弘 幸田露伴は、どんな紙でも、紙をぞんざいに扱う事を嫌った。紙を作れと言われても自分には出来ないのだからといい、出来の悪い文章に棒を引くのは紙一枚作る苦労にくらべれば何でもないといって反古を惜しみ、紙は必ず自分で庭に出て燃やして灰にした。中略、、。
人は紙についてまず一生放漫でおしまいになっちまうだろう。経験してからはじめて謙遜になるものは愚かだ、と露伴はいったそうだ。中略。近代的な製紙技術の洋紙は、ボロボロの紙になりやすい。紙が消えれば、紙の上の言葉も消える、言葉の自由、本の自由は、実を言えば紙の自由だ。この百年にわたしたちのして来たことは、もっぱら紙をつかいすてて、言葉を使い捨ててきただけだ。露伴翁の危ぶんだ通りだ。経験してからはじめて謙遜になるものは愚かだ。これからのことは、つねにこれまでのツケにすぎない。
以上から、21世紀の現在、紙の本は電子の本へ移行している。原発事故や震災の経験では、謙遜になる人々と、なれない人々がはっきり存在している。其の存在も揺れ動く数字で毎日変化していく。人間とは経験しても体験しても成長しないのは、何故なのだろうか。花見から帰ってから以上考えた。
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花影と共に地球はまわりけり
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青き旗彼方に富士の春の顔
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散る櫻大地を繋ぐ線上に
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回転する花弁と春の青空
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壁の人花を見る目の瞬かず
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2005 [本]

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「あんた、絵本作家になんなよ!」と十年程前恩師の先生に言われた事がある。其の気になって2005年、絵本の試作まがいの事を創った。先生の家に飼われていた大きなラブラドールの老犬をデジカメで撮って加工した。登場したのは其の頃廻りにいたメダカ、蛙、ヤモリや、蝶や昆虫たち。結局絵本作家にはならなかったが懐かしいあの頃だ。思い切り横長の画面の絵本に込めようとしたものは何だったのか。恩師は教師を長くしていたが40代後半から本格的に油絵を描きはじめた。若い頃に駆け落ちをして野草を摘みながら山の中で彼と暮らしたという様な話を二十代の私は感動した。彼は使用人が大勢いる良家のボンだったというのだが、まわりの人々の計らいで別れさせられたと言う。純愛が似合う時代もあったのだろう。其の先生は今東光に気学を学び、我が家の家族の性格もぴたりと当てられた。気学は中国四千年のデータベースに基づいていると言われたのだが、確かに的を射ていた。
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絵本は子供へも大人へも嘘をついてはいけない分野なのだろうか
優しさの中に厳しさ残酷さも共存する世界なのだろう
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確か絵本の素材は2000年頃撮影した記憶があるのですが、微妙です。

自炊 [本]

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昨年話題になった言葉に「自炊」というモノがあることを今頃になって知った。本を一冊裁断機で解体し、スキャナーに掛けてデジタルデータに置き換え、iPadやキンドル等のタブレットで読めるようにすることだという。アメリカから電子ブックなるものが上陸し、日本語対応の本に日本の出版社は対応できていなかったので、自分で本をまるごと「自炊」することが日本では流行したのだそうだが何とも時代の流れだ。数百冊の嵩張る愛蔵書を「自炊」してデジタル化すれば確かにパソコンやタブレット内のメモリーに納まり、家の空間はすっきりする。だがデジタル対応の苦手な苦手な自分はそのファイルを検索する機能が使えていない。
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自炊代行業者と言うビジネスまで発生し、著作権侵害や複製違反といった裁判問題にも達したようだ。デジタルデータは簡単に転送も可能で違法ビジネスも発生する。代行業者は今は一冊百円程でデジタル化をしてくれるようだ。もっと驚いたのが中国では一冊の単行本を二人の文字入力で千円でデジタル化するビジネスがあるそうだ。一冊をまるごと漢字で入力作業、どのくらいの時間がかかるのだろう。日本の自炊代行業者の一冊とは画像としてPDF化する作業コストであり数十分で終える作業という。国会図書館等のアーカイブも総てPDF形式だ。
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本が丸ごとデジタル化される。そこらにあるメモも、名刺も、年賀状も、デジタル化。
あらゆる画像も、テキストも、動画もデジタル化の世界。今に始まった世界なのではないのだが、クラウドなる言葉が普及して話は加速する。
データの洪水に襲われて見えないものも見えなくなって来る。
湘南の海の前に、蜘蛛の巣(web)があった。
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全体をみつめる世界 微細なものが見えすぎる世界
どちらも重要な世界だが 世界は 微細なものへ集中しすぎてはいないか
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アースダイバー [本]

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中沢新一著の「アースダイバー」は愛読書の一つです。
2010年11月20日午前9:00
東京は山手線神田駅に降りた。秋葉原方面に向かい歩き始める。はるか昔須田町交差点から新宿へ都電に乗ったことを思いだす。高架下のリベットがそんな時代を思いださせたのだろうか。
「アースダイバー」にかかれたこの周辺の事を思いだそうと地形を想い浮かべる。
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2010年11月20日午前9:07
中央線の高架下を秋葉原方面に向う。朝の時間は明治22年開業の高架を支える煉瓦の時間で止まっている。煉瓦色の朝日と夕陽が何回この鉄道高架下を染めたのか。昨夜遅く迄、この国の鉄道の歴史の最初のエピソードに関する英国人の娘、メンデルソン嬢の伝記を読んでいた。
彼女の父親ダンカングレー氏は、新橋横浜間のお召し列車の運転士だっという。日本最初の正式な交際結婚を信州は伊那の豪農の娘と結婚したという。そんな話を思いだしながら歩く。
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2010年11月20日午前9:15
中央線の列車車両が新宿方面へむけて走る。遥か伊那まで線路は続く。
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2010年11月20日午前9:21
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2010年11月20日午前9:28
どこか外来種の様な植物 種がコボレ根性を見せて咲くと想うのは人間のかってというように立っている
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2010年11月20日午前9:31
旧万世橋駅の全容
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2010年11月20日午前9:32
東京も大阪も川の街だった時代がある そして水上の道を想い
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2010年11月20日午前9:34
ブルックリンの橋は見たことないのだが何故か上を見上げて 
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2010年11月20日午前9:36
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2010年11月20日午前10:17
立ち続ければいいのだろうか このピンク夢に出てきそうな 吟行が始まっていた時間
秋葉原を詠む 視る 撮る 描く 書く つづく

貧乏入門 小池龍之介著 [本]

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作家は1978年生まれの32歳、山口県出身、東京の月読寺の住職とある。
経済的余裕の有無とは別に、極力お金を使わず、持ち物を少なく、金銭から自由に暮せるよう心がけている人が書いた本です。住職ともなると、おそらく普通のサラリーマンよりずっと経済的に恵まれた生活をし、高価な車の二台ぐらいをもっていることも珍しくありませんし、一般の方よりグルメである人も今の日本では多そうです。僧侶だから「貧乏生活」となるのでなく、「貧しいけれど心が豊かそうだ」という幻想に包まれた「ここではないどこか」のブータンや東南アジアに行かなくても、どこであろうが幸せである心を作ることが出来る。誰にも努めていれば自由に出来るということを著者は訴えています。
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そのためには「持ち物を減らす」、、、、、持ち物が増えると、心の中が散らかる
そのために「捨てる技術」を実行する
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何故 お金を求めるのか?
なぜ、いくらお金があっても幸せになれないのか
お金とは何か?
欲望に対する3つのスタンス
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ほんとうの幸福
まやかしの幸福
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幸福になるお金の使い方
欲しいものではなく 必要なものを
食の「贅沢」
衣を増やさない
けちけちする心が不幸を導く
他人の為めにお金を使う幸福
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『革命へのチャンス」
戦後、日本は豊かさを達成する為に努力しました。その結果欲望で手に入れた幸せは、かえって不幸をもたらす結果になっています。それは心療内科医や精神療法士を求める社会に象徴されています。だからこそいま、私たち日本人にはチャンスがあると著者は語ります。「それは、日本には、戦後のどん底とバブル期の絶頂、そして現在の苦しみというプロセスを、その一生なのかで体験している人々がいるからです。昭和30年前後以前に生まれた人達は、それらを全部体験しています。これは歴史的に見ても希有なことです。中国を始め新興国の人々が幻想に浸っているなかで、いちはやく幻想から脱出して価値観を組み替えられる事の出来る未曾有のチャンスに、私たちはいるのです」著者が語るチャンスに、私も同感です。かって大英帝国が没落する過程において、どのように新しい時代を作り上げるのかに興味がありました。
豊かさとは何なのか?未曾有の豊かさを体験してしまったこの国の人々は、真に向うべき方向を見つけはじめている。そして欲望をあらかた満たしてしまった後に、心の平安がある。
欲望のカラクリをちょっぴりこの本で知ることが出来ました。
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ディスカバー・トエンティワン社発行 貧乏入門 小池龍之介著
うすものや、格子から漏れる光景や光が大好きです。透けて見える仄かな光は、障子や蚊帳にも見言い出すことが出来、透けるという言葉も好きとこの画像達を撮りながらおもいました。
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「団地の時代」新潮選書より [本]

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「団地の時代」新潮選書で原武史さんと重松清さんの対談集を読み痛快で一気に読めた。
団地という言葉は今では死語になっているようにも思えていたのだが、マンション、共同住宅、集合住宅、アパート、戸建住宅、公営住宅、町営住宅等、その歴史に関心が深かった。
西武鉄道沿線の話で、其所に作られた団地の風景が、モスクワ郊外の光景に何故似ているのか?
東急沿線の家々が英国の郊外の住宅群に何故似せて作られたのか?土地と人々との関わりと時間の流れが目に見えてくる。そして高度成長の後の日本と未来のあるべき姿が見えてくる本でした。団地に住む方も住んだ事がない方も、今マンション住まいの方も一戸建て住まいの方も
必見の内容でした。最後にネット時代には居住空間も減量した空間で住む事があたりまえになるという話、妙に納得でした。モノ離れをもっとしなければと深く考えています。
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隣町の左手に日向が丘団地と右手にめぐみが丘ニュータウンの遠景。
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原さんの著作「滝山コミューン」読んでみようとおもっています。日本では現在総人口の一割以上がマンション住まいだそうです。マンションでは管理組合、団地では自治会、各町内では町内会という組織があり、各市町村や県や国とどういう関係にあるのか不思議ですね。
最後に「暑中御見舞いもうしあげます」おせんべいに印刷されたいただきものです。
ピンが甘いのは暑さでこちらも気が緩んでいる為です。

昭和のエートス [本]

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内田樹著の 昭和のエートス を読んでいます。
昭和人とは 明治人がそうであったように 昭和をつくった明治、大正生まれの人々とあり、
明治は 主に天保生まれの人々の明治人が創ったとあります。戦後生まれの自分の世代は平成人ということになるのでしょうか。今の時代の中で、貧困と貧乏について書かれた文章が興味深かったので以下引用します。
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最初に用語の定義を済ませておこう。
貧困は経済問題であるが、貧乏は心理問題である。
意味の問題と言う事も出来るし 関係の問題という事も出来る。
とりあえず数字で扱える問題とは次元が違う。
 日本では大雑把に世帯の年間所得が200万以下だと貧困に区別される。
だが年収2万ドル弱というのは、世界的に言うと、かなりリッチな水準である。
日給240円のニカラグアの小作農は年収8万7千円である。絶望的な貧困と申し上げてよろしいであろう。中略 日本では出口の無い貧困でなく 貧乏が問題になっている。
屋根のある家に住み、定職を持ち 教育機会や授産機会が提供されており その上に相対的に金が少ないという状態は 貧困とはいわれない。あちらにはベンツに乗っている人がいるけど、うちは軽四である。あちらはハワイに行くが こちらは豊島園にしか行けない。とりあえず同じカテゴリーで比較した時に 劣位にあることから心理的な苦しみを受けることを 貧乏というのである。近代以前には貧乏は存在しなかった。農民が大司教の衣装と自分の衣装を比較して恥じ入るとか、猟師が王侯貴族のような城館に住んでいなくて苦しむという事は無かった。貧乏は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する と 宣言した 人権宣言によって初めて公式登録された。中略 敗戦後の日本は大変貧しかったが、人々の顔は総じて明るかった。それは日本人全員が同程度に貧しかったからである。その後日本は貧困から脱して豊かになったけれど 貧乏人はむしろ増えた。豊かさに差が生じたからである。中略 私は貧乏と苦しむ事は人間をあまり幸福にしない。出来ればこれだけ所有していれば幸福と 苦しむのをやめる人は大変少ない。
方丈の草庵を結び、庭の野菜をかじり、友と数合の酒を楽しむだけの生活が続けば、日本経済はたちまち火の消えたようにしぼみ中進国レベルに格下げされてしまう。
自分はいったい何を食べたい、何をしたい、どのように話しかけられたいのか、具体的な問いをひとつひとつ立てられる人は、求めるものの欠如を嘆く事があっても、貧乏に苦しむ事は無い。日本社会はそのような開発のためにほとんどリソースを投じてこなかった。
経済成長の鈍化をたすけるようなことは行政もメディアも真剣には係わらない。

我々は貧乏くらい我慢するしかあるまい。現に貧乏なんだし。
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クラウド [本]

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クラウド 最近関心があり図書館で借りて インプレスR&D刊の 小池良次著を読んでいる。
昔見た タルコフスキーの映画「砂の惑星」を思い出している。思考する砂か大地が主題だったようだが クラウドでも 地球を包み込む 知の雲 のイメージが強くする。
雲を見ていると 動物や 植物 食物のかたち が浮かび上がっては 流れて行く。
今日の雲はさしずめ 雲の龍か?
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