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三月二十一日 [いのち]


地下鉄サリン事件のあの日から昨日は、20年。
手元に20年前のAERA5.15号「オーム仮面を剥ぐ」という雑誌と、1.30号「阪神淡路大震災 日本の頸動脈が切れた」という二冊のページを見ています。福島原発事故と東北大震災の年の二つの事柄が、何かオームと震災との年とセットに感じられてなりません。
人災と天災とに分けられ無い何かを感じるのです。
国が違えば20年前の3月20日は、イランに大量破壊兵器が存在すると巨大国の大統領が弾糾を始めたと日でもありました。
オーム事件の時、集団の力は国家をも転覆させる力があることの恐怖を感じました。国家も集団です。今間違った方向に国家が進んでいるのであれば内部から、外部からも軌道修正をすることが大事です。そのためには情報がどこまでバランスよく入ってくるかにかかっていると感じる朝でした。
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画像は数億年から数十億年前の化石。銀化してきらめくアンモナイト。
昭和4年下花水橋開通式、盛大に式典。以前は木橋だったか?

二月十四日 [いのち]

今日は我が家の愛犬君の誕生日。11歳を迎えるんだけど、元気一杯。茨城の国道付近で、野良の仔犬として誕生し、縁あって我が家にやって来て十年の歳月が流れた。仔犬の時は耳も垂れ、円顔の茶黒だった。1歳で耳が立ち、尾が狐のように立派になった。中型犬で人間だと約七十五歳を超えるわが家の最長老。我が家に着いたその日の夕方硝子に映る自分の姿を見て、頭を天に向け、小さく遠吠えを始めた姿が今も脳裏に浮かびます。100キロ離れたところの兄弟や両親に伝えようと叫んでいたのだろうか。image.jpg
大正二年の二月萩原朔太郎26歳大磯小磯に遊ぶ。

二月十日 [いのち]

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靖國神社の歴史に向き合う事は、今まで避けてきた。何か軍国主義という重いものの、重圧感から逃れたい意識があった。靖國神社の歴史がペリーの来航以後に始まったと知り、その意外さで気が軽くなつた。神話の世界から繋がると錯覚させられていた。
ここ数年古文書の解読にはまっています。古文書は江戸中期から明治から大正まで幅広い年代ですが、凡そ200年から250年前を解読中、ペルリの来航は幕末、まだ最近に思えてくるのです。人類が生まれてから戦争に明け暮れてきました。でも靖国神社の歴史が幕末からなんて最初は信じられませんでした。神国日本は紀元二千六百年ってこともどこかで聞いたことが記憶の底に残っています。奈良の樫原神宮もそんなに遠くない昔に建造されたと知って三十年前くらいに驚きました。古くからのことが尊いとは言えませんが、ついこの間作られたものを1,000年も前のことからと思っていた自分が不思議で馬鹿に思えてきます。戦争で犠牲になった方は兵士であれ、民間人であれ尊い命を亡くされたことに変わりはありません。靖国神社では病死した方は祀られず、戦死した方を祀るという話、賊軍となった徳川方の戦死者は祀られていないとか。台湾へ旅した時、日本が統治国だった時代、靖国に祀られるか、自分の生まれた民族の聖地に祀られるか悩んだ方も多かったと聞きました。戦争で亡くなった方々の世界で集合された墓地や、寺院はあるのでしょうか。そんな世界の戦闘で亡くなった方々を祀った社が、靖国神社の境内に造られたれ歴史があることを知ったのも最近です。知らないことが多すぎることを実感し何故か悲しくなる最近です。

狗尾草じゃれる獣の目に涙 SILENT

一月十五日 [いのち]

昭和4年1月14-15日にかけ気温30度の暖気。この暖気に梅一斉に笑う。
昭和8年茅ヶ崎、二宮間の海岸で砂金が雲母に混入含有、採取を出願。湘南に黄金狂時代出現か。
昭和20年 木箱に変わり、竹籠で代用。戦火は迫り、物資も不足。
平成20年代、湘南海岸ではビーチに流れ着いた、ビーチストーンが海岸沿いの店で通貨として通用し、色で交換価値も差があるそう。
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この町はノラが多い。やせ細った猫は見かけない。食べ物に不十していないのだろうか。ノラはその懐疑的な眼が素敵だ。
野生と、非野生と今はその区別もわからぬ世界。
人の野生も摩滅した世界。
猫の瞳に少しだけ 透き通った希望を見た気がする朝。

一月十二日 [いのち]

左義長の終わった翌日の、朝の海岸に出かけた。冬の海の青く深い青の中に、銀色の小魚が一面跳ねるような水面を背に、昨日の聖塔は燃え尽き、僅かな白煙を9つあげていた。近ずくと今年はかなり芯の柱になったモノが何本か燃えないで残っている。縄の形にそっくり炭になり風に灰となって消えていくもの、針金の姿が渦を巻くように留まり、ダルマの紅い残欠が黒い灰の中から覗く、お札の切れ端、竹の葉のかけら、陶器やガラスやプラスティックの破片までもが、直径2メーターほどの灰の山に蠢く。昨年の左義長の次の朝は、見事なほどに燃え尽きて、今にも砂と同化して、満ちくる潮の流れで、灰も何も残らないような姿に妙に感動した。
祭りの後の、朝の浜辺。何事もなかったように寄せ来る波の姿に妙に素敵な余韻が残った。何かその清々しさは、ガンジスの川辺の荼毘の灰にも似て、インドにも行ったことがないのに連想を重ねた。
亡き俳句の師の「みずぎわのハンモックのような人が好き」を思い浮かべた。水際は黄泉の国との境を流れる辺を連想し、ハンモックのような人は、女性を連想する。その人は師の母であるような気も。
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昭和11年のこの日、大磯町真砂亭にて渋柿俳句会開かれる。
この年晴天続きで、大磯の井戸渇水状態続く。水売りが出たこともあったようだ。
昭和3年、日本最初の人形芝居開かる。日本メゾヂスト教会堂にて人形座主催、大磯童話劇協会。

すとれすの [いのち]

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いつのころか、植物の蔓性の其のかたちに魅かれた。支柱となる存在に絡み付き天を目指す姿。
おのれの力だけで空に這い上がる豆の木は、ジャックが植えたものだったか。何かにしがみついて這い上がる姿。その蔓性の植物が何故か天に邀えず団子のように絡まっているのを見た。
神経が素直に張りめぐらされずに、絡み付くストレスの様な姿。
ストレスと何かと、ふと思う。人にも植物にも、動物にもある程度は、あった方がいい姿なのか。
ストレス過敏症、ストレス回避、ストレス志向、ストレス状態、考え過ぎ。

すとれすのてんにむかいしつゆのそら むおん

ストレスの天に向かいし梅雨の空 無音

素とれ素の点に向井氏露の宇宙  ムオン

ストレスノ店二霧海歯津湯之曽良  ム温

SUTOREUS NON TENNI MUKAI TE TUYU NON SOULA

つゆの宇宙の元では、言葉遊びがいいヒトトキ。

ストレスの出来ない方法として中部大学教授の武田邦彦さんのブログに以下の項目があり、妙に納得。

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身体を冷やさない、妙に実感しています。最近我が身が冷えものなので。
朝起きたら太陽に顔を向ける。この向日性も納得です。朝起きて人々は東を目指して歩くから、街は西に向かって発展したとか。ちょっと怪しいけど納得。

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 次は社会性でのストセス回避だそうです。優しさ、前向き、これ絶対条件の気がします。ゆとりなんでしょうね。精神的・物理的なゆとりなんでしょうね。

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すとれすのわれのすがたも露の中 むおん

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東京は、町田、新宿、代々木、恵比寿に出かけました。この時の画像は次回にでも、、、

秋蝶飛蝶 [いのち]

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秋蝶の黄の片羽の海を飛ぶ SILENT

野分の去った後の、草屋の前の路地を掃いていて、落葉を塵取りで掬おうとしていたら、黄蝶が箒の先に纏わり付き、風と共にひらひらと戯れる。路上に舞い降りた蝶をよく見ると、羽もちぎれかけた一枚の羽だけの姿だった。又来る風に舞い上がる羽は、生きている様に地べたの上を飛ぶ。軽やかに舞う一枚の羽の姿は、何か感動するものがあった。黄色い命は、やがて落葉の山から遠ざかり路地の彼方へ消えていった。
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芭蕉の句に、「明けぼのや魚しろきこと一寸」がある。春の日白魚の白き姿を見る。その白魚は生きているときは水の中で、透明で死ぬと白くなる。芭蕉の句の白魚が、白きこと一寸で、死んだ白魚と今頃になって知った。白みはじめた伊勢の浜辺に、幼い白魚が一寸ほどの生涯を終えて、白く横たえているのは、神々(こうごう)しくも、美しくも見えるものであるよ。一寸は約三センチだから、いくら白魚が小魚だとはいえ、ちょっと小さすぎ。この句は隅田川の白魚を詠んだものではなく、貞享元年(1684年)から翌年にかけて大和伊勢近辺から美濃尾張甲斐へと旅した「野ざらし紀行」の折に、桑名の浜辺で詠んだものとか。その頃は冬で、白魚がまだ小さかったようだ。ならば季語は春ではなく、冬なのか? 隅田川の白魚とばかり思っていたのだが。俳句の背景や解説を読むとその句のイメージ迄変わってしまう。白魚とはさまざまな魚の呼び名でもあるのだろうか。
ちりめんが好きで、京都風にちりめん山椒の味が好きなのだが。
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昨夜の十月十七日の晩の月が、十三夜だったらしい。スーパーで団子を買ったその晩が十六日だったのでてっきり此の日と思っていた。前日に団子迄食べてしまったことを月に詫びる。
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板塀から覗く庭の緑はまだ紅葉には早い。緑の水玉や緑の残欠に出会うのが好きだ。
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湿った坂道のコンクリートに見つけた、司修さんが描きそうな顔を見つけた。晴れている時には気がつかなかったが、曇りの日には顔が浮かぶのかも知れない。
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彼方に海が光る。ひかる線路は小田原を経て、京都、下関、鹿児島迄続いているのだ。
黄蝶達が舞っていないかと、山道を歩いてみた。緑がまだ濃い道に姿はなかった。
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黄蝶飛ぶ森の奥なる泉沸け  SILENT

年年歳歳 [いのち]

年年歳歳花相似 年年歳歳実相似 年年歳歳葉相似
アケビのみが今年は数個なりました。昨年は一個のみ。何処からか種が飛んできた実生のアケビの蔓が今は大きくなっています。去年の花も、今年の花も似たようでいて違うもの。そう言う自分も去年とは違う自分。年年歳歳 呪文の様に呟きます。
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うす緑から、うす紫に変色していく実が見事。
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生き物の様な、実の割れ方、生命をやどす実のかたち
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バナナの茶色いシミの様なものは、シュガーポイント又は、シュガースポットと言って食べごろのサインとか。
隣りの庭の紅葉は葉先が茶っぽく枯れ始めたがまだまだ緑
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我が家の盆栽の黄櫨の群れは、八月から紅葉が始まり今は五割が紅葉中。
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葉にも夏と秋が混在か
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赤トンボから見たハゼの林
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風知草には秋雨の雫
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雨中飛行 [いのち]

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九月に入り、アオバトの海岸へ海水吸飲の為にやってくる数が増えた。今朝も雨の中、数多くのアオバトが数十キロ北方の丹沢山塊の森から一時間近くを掛けて飛行してくる。今年孵った雛達も飛行に加わり、九月には数が最も増えるのだという。入道雲を背景に飛ぶアオバトの姿もいいが、秋雨の中飛行する鳩達の姿も健気でいい。あと二ヶ月程すると渡り鳥である彼等は南の地方へ移動を開始する。秋は渡り鳥達の季節だ。何千キロも渡る鳥から、本の少し南に行く鳥迄、人生の様に流れていく鳥の姿を想い浮かべると、胸が高鳴る。先輩の鳥や親達の飛行に合わせて若い鳥が飛ぶ姿は何かいい。自然にいきる彼等にも、放射能や大気汚染や都市開発の波は諸にかぶっているのだろう。来年も元気に海にやってくれる様に、町の人々の頭上を飛ぶ鳩達を見上げる。そう謂えば電子メールに駆逐されたのか、伝書鳩の群れも最近は見かけない。町に飛び交う電磁波に飛行を乱されるコウモリの姿もめっきり見かけなくなった。昨日と同じ日常はないのだと、つくづく思う。

秋雨のいのちがいのちがかえる森  SILENT

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感性知性 [いのち]

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図書館で「数学する本能」キース・デブリン著 日本評論社を借りて来た。サブタイトルに、伊勢海老や、鳥やネコや犬と並んで、あなたが数学の天才である理由。とある。
自然界には数学を理解しなくとも、本能的な動作で高等数学以上の動作や生態をする生き物達が多い。それは生き延びるということの為に、必然的に身につけられた事なのだと感じました。
人も自然界から、数学を掘り出したのであって、数学と自然界が異なるわけではないという自明のことに気がつかせてくれた本です。

話は飛んで、先日の12から5までの間で、頭に浮かんだ数の回答は、7でした。
10名の方からのコメント、大変有難うございました。
コメント下さった方の内容で、最初に引き算が行われ、最後の質問でも12から5を引くという暗示がかけられているという御指摘がありお見事でした。
人は質問や問題が発生した時に、瞬時に頭に浮かぶことと、よく考え始めて回答を見つけようとするプロセスがあるようです。私も数字が浮かんだのは7でした。その理由は12から5の間の中央にあるのは7辺りだろうといういい加減なものでした。よく考えると7は、12から5迄の配列の中央付近にはありません。息子に同じ問題を提示すると7でした。理由は7月のことが気になっていたから。
妻は7と答え、何か気になる7の事があったといいます。
12-5=7は、頭の中で無意識に行い、その7という数字に後付けで理由を考えている気配です。
先日の本の中では9人中7人が7という数字が浮かんだと書かれています。

数学の問題は、国語の問題でもあると聞いたことがあります。問題がどのように書かれたかで、回答が違っても来る。先日のタイトルで『疑心暗鬼』と書いたのも何か迷路の入り口を暗示するような気がして気が引けました。『満場一致』とでもあれば、回答は7に、集中したのでしょうか。
問題から回答迄30秒以内にともすれば違った結果になるのでしょうか。

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「考えの整頓」佐藤雅彦著では、最後の方で、「差」という情報という、興味深い章がありました。
大学に実験室で「とにかく差を取れ、データの差を取れ、其所から何もでなかったら、更にその差の差を取れ」と、差にこそ見えない情報が含まれている。真理は「差」に宿る。
無意識に差をはかり、生命体として生きる為にも、差は重要だ。
動くものも移動前と、移動後の位置の差で、今後の動きを予測し、音の来た方角や距離も、両耳の間の到達時間のわずかな差で判断している。無意識故に我々は不段差を取り続けていることを忘れている。
以上は、アメリカの作家ポール・スターの「ファミリー・クリスマス」とう素敵な話に続く。

不況下のアメリカで起こった、ある一家のクリスマスの実話から。とある極めて貧しい一家のクリスマスに、一家は誰もクリスマスのプレゼントが買える状況でない。イブの晩、沈んだ気持ちで寝入った一家は、翌朝驚く。ツリーにプレゼントの箱の山がある。そのプレゼントの箱の山をひとつづつ開けた家族はみんな驚く。なんと中から出てきたのは、何ヶ月前に失くしたショール(=お母さんへのプレゼント)、先月何処かでなくしてがっかりしていた帽子(=長男へのプレゼント)、なくしたスリッパ(=妹へのプレゼント)、家族じゅうがプレゼントを貰うことになり一家は、途中から笑いで一杯になり、次の包みも開けられない程笑い転げたという。実は末の弟が数ヶ月も前から、無くなっても騒がれないものをコツコツ集めていたという。

プレゼントは、今迄の生活にプラスされるものである。ショールも帽子もスリッパも、プレゼントされれば、その分自分の生活に豊かさをもたらす。このプラスされた『差』こそがプレゼントなのである。
その差には、どんなプレゼントもかなわない家族の思いが含まれていたのだ。と結ばれている。

人生の中で、最適なプレゼントで人を喜ばせていない私にも、この文章は素敵なプレゼントになりました。
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昨夜は、満月でした。カメラを回して、月の軌跡で丸い大きな月を描きました。
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彼岸花も咲き始め、お彼岸ももう間近です。
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絹雲が秋の気配を運んできます。
猛暑日-台風=台風一家の空模様でした。
 我が家では、台風一過は台風一家がやってきた事だと思われていた人が居り、爆笑。

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