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02月06日 [海]

久しぶりに海に出た
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冬の雲
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遠くへ
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砕ける
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流離う
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祈り
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浮かぶ
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灘れる
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巻きこむ
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透光
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沸き立つ
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海人
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波影
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波濤
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打つ波
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弾波
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潮目
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潮吹き
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泡立つ
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漂う
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02月04日 [アート]

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ある人からの電話で、画家のピカソが子供からの質問に答えた言葉が気になっている。ピカソにおじさんは絵を一瞬で子供の落書きのように描くのに
、凄い高く売れるのは何故!と聞く。

ピカソはオジさんは50年かかって落書きを描けるようになったからその年月が値段になっているのだよね。

一瞬で描かれた作品は、何故安くてもいいのか。永い年月かけた作品は高くなるのか。ならば誰でも時間をかければいいわけではない。有名な作家だからか。市場価値からだろうか。

時間をかけた作品は、成熟と言う価値を生み出すのか。モノの値打ちとは何か気になった。

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家の窓の空から、夕方飛行機雲が見える北西の山の方面に集中して消えていく。その方角に富士山頂があることにきずいたのは数年前だった。放射線状のスジの行方が富士という目標であるのはなぜかうれしくなる光景だ。夕焼けの空も飛行機雲の描く雲で彩られる日がある。

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円天方地冬雲チギレ無音なり






01月29日 [俳句]

IMG_1774.JPG俳句は、連句の最初の発句が独立して、17文字の世界になったそうだ。連句の世界は、連歌という和歌の世界から派生し、和歌は長歌という中国古代の世界から伝わって変化して来たという。
確かに長歌が短歌となり、俳句まで繋がる歴史面白い。

世界は短い言葉で動くようになつているのか。膨大なデータより、一言呟く世界が最大の影響を与える。壁を築く事や、強い国家、進歩、明るい未来を目指す。

理性よりも感情が先走る。理性と感性は天秤にかけるものではなく、表裏の関係にあるはずだ。
刹那的な世界観がはびこり、長い歴史を忘れた世界は、醜く、寂しい。


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一週間は速いものです。何か書きたいことも書ききれません。様々な愛しい時間、愛しい出会いがあったことだけは確かです。松尾芭蕉は、連句の世界の決まりごとに、後には戻るな!繰り返すな!と連なる句の世界の覚悟を言っています。素晴らしい覚悟です。
当たり前の世界観なのですが。
過去の栄光は、決して繰り返さないのです。明日はわからないから素敵なのですね。冬の終わりは、必ず来る事信じています。抽象的な事ばかり書き込みました。今は冬の時代なのか。

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庭先に苔の緑が春の予感です。ここ一週間でフキノトウを10個近く散歩の道すがら見かけました。

ポケットに蕗の薹あり空燃えて  無音





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01月22日 [雲]

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世界の雲行きが怪しい。アメリカでは誰が大統領を選んだのか、分からない。世界が変わろうとしているのはわかるが、良い方向に行くための一層の努力が必要になったことがわかる。世界が経済優先だけで動くはずはない。大国の孤立化はより進むのだろうか。ネット社会になって我慢するより、自己主張をしないと損をするという風潮がより強まっている気がする。情報過多は豊かさではない。迷える心が多くなっている。

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自然は嘘をつかない、雲は今日も空を行く

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01月15日 [海]

昨夜の左義長の後の海岸がどうなったか、夕方浜に出た。白い煙がまだ夕方のサイトの後に立ち上っている。昨年は朝方燃えかすが砂になじむように消えていた。今年はサイトの材料が多かったか材質が違うものがあったのか長く燃え残っていたようだ。

昨夜の点火時間の6時半には今年の恵方方に火が放たれた。

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火の勢いが最高潮い達するころ、そりと呼ばれる上に藁で編まれた道祖神さんの小さな社が裸の男たちに引かれてやってくる。男たちは海にそのまま入り、そのそりを陸の連中が綱引きのように引き上げる。この綱を引くと一年が良いことが起きる魁となるという。海の中の男たちは魚にも見立てられ引き上げられると大漁という、漁師町の願いが込められているともいう。あいにくの雪雲で空に月はないが、満月周辺のこの日九州や、朝鮮半島でも綱引きが行われる風習がある場所があり、あったという。
何か遠い昔から様々な願いや、風習が混ざり今ある行事に繋がってきたのだろう。

海に入った男たちはソリを引き燃え盛る火の中に社を手荒く放り込む、足で蹴り、社を潰すまで、何回も同じ動作を繰り返す。何か身代わりとなって社の中の魂が炎と一緒に天に舞い登らせる所作のようだ。この所作は「ヤンナゴッコ」と呼ばれるそうだ。裸の男たちは昔は子供達の役割だったともいう。
昔の写真では小学生くらいの男の子たちがソリに乗るものもある。

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道祖神が身代わりになり火の中に入るという行事が、茅ヶ崎でもあって石の道祖神さんはもろくなり何度も作り直したという話も聞いた。道祖神をめぐる祭りは昔は子供達が大人になるための試練として子供中心で行われたという。一つの祭りが大人への窓口でもあったのだろう。

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集落の提灯の灯りが何か日の祭りにふさわしく頼もしく見える。

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燠火に近くなると近所の慣れた人々が団子を焼きにやってくる。何か遠い日の絵巻物のような光景にも見えた。そう青木繁の名作漁を終えて浜に上がる人たちの姿に、団子の竿を掲げる人たちが見た夜だった。

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01月14日 [海]

左義長の点火の前に、小雪が舞いだした。
雪雲が岬のような地形のこの町の浜の上空を覆い、西の空は夕焼けで燃えるような空の帯が広がった。
点火される前に空が一面の炎を上げるような美しい景色が展開した。
10年近く前には、雷と雪が舞い非常に寒いことがあった。自然の力は恐ろしく美しいものだ。


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  団子焼きの団子に黄昏の火が灯り  ムオン


01月14日 [色]

IMG_1504.JPG昨夜は満月の光が明るく、ブラインドをあげて月を見た。一月中ばの月は満月にかさなり、今朝のどんど焼きの準備も始まる。毎年14日に行われていた下町の左義長も朝から準備が始まり今夜今年の恵方方に火が入る。
五色の飾りの靡くサイトが浜に立つ。


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01月13日 [色]

新入社員のデザイナーの卵に、課せられた仕事は朝一番で横浜工場の染色課から送られてきた糸の色が、オリジナルの色の糸と同じか電話をすることだった。此れは「検色作業」と呼ばれ、染色のロットでオリジナルから色がぶれていないかジャッジする仕事だった。茶色でも様々な広がりがあり、オリジナルから赤味が足りないとか、少し彩度をあげて10パーセント明るくとか、染め直す指示を出す場合もあった。電話で微妙なニュアンスを言葉で伝えるのは難しい。
検色作業は午前中に限られた。
光の条件が午後には赤味になったり刻々と変わるからだ。検色環境も北窓の白い部屋があればいいのだが。
老人になると見えるいろが赤味が加わるなどと個人差もでる話も聞いた。
ならば機械で計測したらばと調べるとミノルタでカラーを数値化する機器を出していた。印刷の紙の上の色の測定で、素材がナイロンとか、麻とか、アクリルと異なると測定が難しいことがわかった。
素材色というものがあることも知った。絹の赤が美しい深みがあるのに、その赤をナイロンやポリエステルの素材に同じ赤を求めても難しい。
染め直しを何回か繰り返し、黒に染めると色が重なって深みが出る。一度だけで染めた黒とは深みの幅が違う。
染色の世界の奥深さを知ったのもいい経験だった。
晒しは白く染めるということで、日に晒して白さを作り出したという。
晒屋という生成りを白に染めるだけの染色屋や、藍染だけの紺屋、茶色だけの染め屋も、それぞれあったことを知った。
染色工場へ、色見本となる糸や、布の切れ端または、色の紙を送ることを、「色出し」と言った。海外から色見本が送られて来た時、三センチ四方の小さなものもあった。染色工場が三箇所で控えをとると、色見本は、四分の1になる。そんな小さな色見本で、染めてもらった事は申し訳ないと思っている。今ならデジタルのカラー指示が可能かもしれないが、モニターのキャリブレーションすることは必須だろう。
今日は下町の左義長を見に出かけた。江戸の中頃には盛んな行事となつたという、道祖神の祭りだ。明日は海岸で大きな聖塔が九つ作られ火が放たれる。天高く左義長の火の滝祷り
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01月10日 [世界]

何か急に50年前ほどの世界を思い出したくなり、書き始めました。高校を卒業して東京の繊維会社のデザイン部門に入社しました。当時はミニスカートの旋風が世界に吹き荒れ始めた時でした。マリー・クアントとアンドレ・クレージュの二人が広めた世界だったと思います。
宇宙的な世界観が半世紀前には求められ、前衛的なスタイルがファッションだけでなくても求められていたのかもしれません。建築や工業デザインでも前衛的な近未来のスタイルが求められ、数年後に大阪万博、学生時代にはあの東京オリンピックも開催されていたからでしょう。

十代で会社に入って何か、若者でしか出来ない発想と、未完成なものを求められました。結構何でもやっていいというのは困ることでした。何か徒弟制度のような世界を求めて入った自分に合っている世界なのかが皆目分からない状態でした。

入社の前に約一ヶ月の研修がありました。今思えば贅沢な一ヶ月です。最初は繊維関係の会社の全国繊維同盟という組合の合同入社式。東京上野の文化会館で多勢の新入社員と一緒の式典です。
壇上の電気会社の会長さんか社長が話したことを今でも覚えています。鉄道の線路でその運行を守るために命がけで鉄路を守った人の話、なぜか仕事とは感動的な世界なんだという当時の年齢の私には胸が締め付けられる話でした。その後自家工場のある、横浜と浜松で各二週間の合宿がありました。
こんなことを書き込みたくなったのも数日前に成人式があったからかもしれません。
成人式は覚えていないが、社会に出た19歳の春の出来事が何か懐かしく覚えたからです。

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会社に入ってデザインらしきものを初めて最初に驚いたことが、デザインして鉛筆で描かれたものを、も一枚そっくりに写して描く作業です。鉛筆で描くといっても鋭く尖らして、面を塗るとムラが出ます。何故写すのかというとコピー機というものが当時はなかったからです。ゼロックスという機械は随分経ってから会社でも導入されました。

デザインの時間が製作とコピーで二倍もかかる。そんな時代だったのです。
馬鹿らしくなってカーボン用紙を二枚の紙の間に入れて描き始めたら、上司が怒りました。
なんでそんな手抜きのことをするんだ!信じられない世界です。
職人的に丁寧な原稿を二枚作る。そんな世界でした。

当時は交換手の女性たちが会社内に3−4人いて、電話も申し込みの紙を窓口に出す方式でした。
入社当時机の前の電話がなると、頭が真っ白になって受話器を取るのが怖い状態でした。
相手が何を言っているのか、早口でわからないといった状態でした。

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何かすぐ昨日のような話にも思えてきますが、半世紀前の話です。

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01月06日 [本]

二年間ほぼ毎日ブログ更新してきましたが、今年は読みたい本が渋滞しております。週一ペース
位に減速します。昨日の書き込みは誤って消去してしまいました。
昨年から梅が咲き出したご近所の紅梅も満開です。寒さはこれからが本番の兆し、風邪引かぬように、ご機嫌よう。

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