7月17日 [祭]
今朝は町内をやってくる触太鼓の地に響くような音で目覚めた。
竹のザルを持ち、町内の家々からお捻りをいただく触太鼓。軽トラックの荷台に乗せられやってくる。
各町内を回る軽トラの上には提灯が揺れ、町名を染め抜いた藍染の布が巻かれ組まれた太鼓と紙の花飾りが子供たちの頭上にあり、子供達が太鼓を打ち走り回る。
700年の昔にはこの町には軽トラも、マイクも、電気も、テレビも、インターネットも当然なかった。
想像するにたくさんの船はあったろう。船で漁に出て、その漁の収穫を離れた地まで船で運ぶ。
浅草浅草寺の観音様が海からあがった詳しい由来はわからない、でも何か祭りの発生とその時代における変化と、変わらないもの、変えてはいけないものが、心の底に湧いてくる。
自分が生まれる何代も前から、その祭りは伝えられてきた。何故と問えば、昔からそうだったから、何故と問う必要のないと、地元の人は言う。
700年の昔から変わらない人々の思いと、形を表面的には変えてきた祭りの姿を思う。
700年後もこの御舟祭りはどんな姿を変えて存在するのか。
100年程前のレンズで今日の祭りを覗く。
祭りには灯りが似合う江戸の夏 無音
昔舟で、高麗寺の東を流れる花水川から相模灘に出て、照が崎という地名の千手観音の発見場所へ行き、神事を行いまた寺に帰るというお船祭りは、いつの頃からか陸路をいく飾り船に置き換えられたという。海をあがった飾り船は下町の通りを2年に一度曳き回される。今年はその船が出る本祭り。
山車や神輿が船に乗って行進する様を思い浮かべ、その船が軽トラックになり地上を行進する様を頭の中で描いた。流れ仏の信仰は、どこで生まれたのか。海の底が輝く夏の日の情景を思い描いた。
はためく夏祭色気ありて路地へ 無音
どっこいと神輿起き上がり揺れる夏 無音
笛太鼓夏の夜更けに消え去りぬ 無音
竹のザルを持ち、町内の家々からお捻りをいただく触太鼓。軽トラックの荷台に乗せられやってくる。
各町内を回る軽トラの上には提灯が揺れ、町名を染め抜いた藍染の布が巻かれ組まれた太鼓と紙の花飾りが子供たちの頭上にあり、子供達が太鼓を打ち走り回る。
700年の昔にはこの町には軽トラも、マイクも、電気も、テレビも、インターネットも当然なかった。
想像するにたくさんの船はあったろう。船で漁に出て、その漁の収穫を離れた地まで船で運ぶ。
浅草浅草寺の観音様が海からあがった詳しい由来はわからない、でも何か祭りの発生とその時代における変化と、変わらないもの、変えてはいけないものが、心の底に湧いてくる。
自分が生まれる何代も前から、その祭りは伝えられてきた。何故と問えば、昔からそうだったから、何故と問う必要のないと、地元の人は言う。
700年の昔から変わらない人々の思いと、形を表面的には変えてきた祭りの姿を思う。
700年後もこの御舟祭りはどんな姿を変えて存在するのか。
100年程前のレンズで今日の祭りを覗く。
祭りには灯りが似合う江戸の夏 無音
昔舟で、高麗寺の東を流れる花水川から相模灘に出て、照が崎という地名の千手観音の発見場所へ行き、神事を行いまた寺に帰るというお船祭りは、いつの頃からか陸路をいく飾り船に置き換えられたという。海をあがった飾り船は下町の通りを2年に一度曳き回される。今年はその船が出る本祭り。
山車や神輿が船に乗って行進する様を思い浮かべ、その船が軽トラックになり地上を行進する様を頭の中で描いた。流れ仏の信仰は、どこで生まれたのか。海の底が輝く夏の日の情景を思い描いた。
はためく夏祭色気ありて路地へ 無音
どっこいと神輿起き上がり揺れる夏 無音
笛太鼓夏の夜更けに消え去りぬ 無音