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3月17日 [人]

朝掃除をしていたら、アクリルの樹脂の破片が出てきた。阪神淡路震災の折、あの朝は加古川市のホテルに泊まっていた。月曜日の朝だった。深い眠りの中で部屋のテレビがひっくり返り、床に画面を伏せていた。激しい揺れに、まさか関西に来て地震がと疑った。部屋を出てロビーに降りた。無人のロビーに一面光るものが落ちていた。燻んだ絨毯の上からその光るものを二つほど拾い、ポケットに無意識にいれた。ロビーの電話から神奈川の家に電話して、大きな地震があったが無事なことを伝えた。その日時間が経つほどに電話は混雑のため繋がらなくなった。その後滞在したホテルも神戸からの避難の人たちの予約で満室の日が続いた。

あの日のかけらが、で出てきたのだ。シャンデリア風の照明の一部が落下して破損したかけらなのだろう。

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あの日の前日の夕方山陽本線で加古川に向かう列車の中で、三ノ宮駅で降りた家族の事を思い出す。ボックスシートに両親と小学校高学年くらいに見える少女の三人と同席した。大阪駅辺りから乗ってきた家族は住宅展示場の話をしていた。展示場の紙袋も持っていた様な記憶がする。何気ない会話の端々からこれから家族が家を建てるのかなと思った。あの地震にあの家族はどこで遭遇し今はどうしているかとふと思う。行きずりの人との会話もしない出会いとも言えない様な出来事なのだが。

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昨日ショッピングセンターに出かけ、何か悲しい気分になった。
母親と女の子の姉妹の三人連れが、夫婦でベンチに座る我々の前を通り過ぎた。数メートル先にピンクのダウンが万歳をする様に落ちている。思わず「落とさなかった?」と三人の背中に声をかけた。30くらいの母親が「何やってんのよ!」と振り向いて7歳くらいの妹の方に声をかけている。妹は面倒くさそうにもどつて来てダウンを拾う。ベンチの方の私を見て、変なおじさん!といった様な態度で、姉を見る。姉の方の眼は、一緒に座っていた家内を睨みつける様に去って行ったという。
彼ら三人に唖然とし、悲しくなった。
たった一言の言葉が、世界を明るくすることを、あの三人に話しかけたかった。「ありがとう」と。
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ありがとう とは漢字で有り難うと書く。有難いものは、満ちあふれた物質文明では、有難いという気持ちが無くなのだろうか。

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