十一月十日 [写真]
1932年製のカメラでフィルムを使って撮影した画像を見つめると、フィルムの上の粒状性物質が何か気配として気になる。印刷の網点とも違う粒状性。画面を構成するエレメントだからだろうか。
事実を英語では、FACTという。ファクターは要素となり、事実を構成する数々のエレメントだ。
光という現象を、化学処理で顕す、写真術という奥域に惹かれる。
光の粒子が晩秋を駆逐し始めていた ムオン
香りか匂いか冬の気配の松並木 ムオン
1932年の光捉えし暗箱に秋 無音
鮮やかに80年の明暗を結ぶ秋 むおん
事実を英語では、FACTという。ファクターは要素となり、事実を構成する数々のエレメントだ。
光という現象を、化学処理で顕す、写真術という奥域に惹かれる。
光の粒子が晩秋を駆逐し始めていた ムオン
香りか匂いか冬の気配の松並木 ムオン
1932年の光捉えし暗箱に秋 無音
鮮やかに80年の明暗を結ぶ秋 むおん
十一月九日 [水]
十一月八日 [写真]
十一月七日 [月]
十一月六日 [色]
久しぶりにベスタンフード外しで、ソフトフォーカスの世界を撮った。
30年以上前に見たモノクロームのフランス映画、ルノワールの世界は「ピクニック」というタイトルだったが、まさにその世界。
軟焦点レンズ(Soft Focus Lens )とは、一般の写真レンズが各収差を可能な限り減らしてシャープに写るように設計されているのに対し、故意に収差を残し、ピントが合った像が軟かいものとなるように設計されている写真レンズである。ピントの芯がちゃんとあり、その周囲に滲みが現れる点がピント外れとの違いである。
丹沢のダム公園の紅葉は今年はいまいちだったが、イチョウの葉は鮮やかな黄色だった。光りの饗宴をしばし楽しんだ午前中でした。
夢の秋溶けゆく時や蜻蛉國 むおん
30年以上前に見たモノクロームのフランス映画、ルノワールの世界は「ピクニック」というタイトルだったが、まさにその世界。
軟焦点レンズ(Soft Focus Lens )とは、一般の写真レンズが各収差を可能な限り減らしてシャープに写るように設計されているのに対し、故意に収差を残し、ピントが合った像が軟かいものとなるように設計されている写真レンズである。ピントの芯がちゃんとあり、その周囲に滲みが現れる点がピント外れとの違いである。
丹沢のダム公園の紅葉は今年はいまいちだったが、イチョウの葉は鮮やかな黄色だった。光りの饗宴をしばし楽しんだ午前中でした。
夢の秋溶けゆく時や蜻蛉國 むおん
十一月五日 [山]
仙石原高原のススキを遠望した。ススキ野原の中央に大きな遊歩道が作られ何か巨大な溝のように見える。この溝がなければススキ野原は何か自然に見える。自然を求めて人々が集まり何か自然でない光景を作り出す。この広大なススキが原も人間の手によって作り出したものなのだろうか。
観光する人々の多さに、ふと「二つの観光」という最近読んだデータを思い出した。今から百年くらい前の日本と台湾、二つの国は二つの観光が存在したという。一つは台湾から少数民族の指導者たちが植民地統治国の日本へ、その国力を見せつけより強力に支配するために、日本への観光をするよう招いたという。少数民族の指導者たちは日本という国をどう見たのだろう。その指導者の一人モーナ・ルダオは日本の圧倒的な人間の数に驚いたという。河原の小石のように数え切れない人間が都市という世界にいる。この数の多さには、自分たち少数民族では到底太刀打ちできないと思ったという。
そして彼の故郷台湾の自然の美しさを求めて日本の文化人や教養者が、台湾の観光を楽しんだという。
二つの観光は、今の世界でもどこかで行われているのか。ふと気になった。
工場視察や工場見学、都会の整備状況視察の人々の話はよく聞く話ですが。
もう一つ、旅とは知らないもの未知なるものに出会うこと、といった側面以外で、自分と同じ世界に出会う喜びというエッセーを読みました。知らないことに出会うこと。知っていることに出会う喜び。
世界に同じように喜びや悲しみを共有
していることを体験できる旅、どちらも旅の醍醐味と感じます。
小さな散歩でも、何か遠い世界にやってきたような思いを描くことがあります。
秋へと車冬へと人の群れ急ぐ むおん