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8月03日 [色]

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蔦の葉が秋色に染まっていた。緑は信号では進め、赤は止まれ。
散歩の途中緑の中に目立った警戒色の赤を見つけた。

泥大島の反物を染めたという時に使った、桜の木の板締め擦り用の板の上に蔦の葉を落とした。
バーコードの線のような板は、染料を吸って黒く輝いている。
闇の上の赤のように発光するツタの葉。
闇に浮かぶ葉脈は、自分の目でなくカメラのレンズが捉えた世界。

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増幅するビットの世界がツタの葉から離れてモニターの中に。
赤と緑のピクセルがモニター画面の中から発光する。
光のないピクセルが赤を浮き立たせる。

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自然から離れた赤が、デジタルな赤の信号となって画面に浮かぶ。

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 深みのある赤は大地に染み込むようにそこにあるだけ。この赤のデジタル画像はいつの時代まで存在できるのか考える。ハードウエアーが消えてもデータはどこかに存在できるのか。
人の思考も、経験もいつか記録されたデータとして呼び出せる世界がくるのだろうか。
すべてが残り、消えない世界は、何か窮屈な気がする。人類の叡智が結集され活用され、新しい様々な知性が誕生する世界。そしてその対極を目指す世界。どちらもアリなのだろう。
この一枚の蔦の葉が、どう見えているかは、様々な生物で違う。

その有り様は、長い歴史の必然性と偶然性の組み合わせによって生まれたのだろう。

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葉の上の赤と緑の分布を見ながら、その世界の中で行われている不思議を感じる。
国境のようでもあり、人の善悪の断面図のようにも見える構図。

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  風の音が窓の外で強く唸りをあげるように聞こえた。その後の静寂のが長いのに、耳の中には、今聞こえた風の音が残っている。人は絶えず耳を澄まし、眼を見開いていないことがよくわかる。
すべての刺激に反応していたらたまらないストレスになるだろう。

 窓の外の木々の葉がかすかに揺れている。まるで古代からそこに気が合ったように思えるのは何故なのだろうか。蔦の葉が、次に吹いた風のために舞い上がり、古代に向かい飛んで行った夢のような世界を思い描いた。

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   夏風に乗って古代へ言の葉は赫    ムオン








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