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8月13日 [写真]

人間の眼は不思議だ。否脳が眼からの信号を処理する技なのだろうが、凄い。
何が凄いかとは、オートフォーカスレンズのカメラの動作を見ているとわかる。ロボットの様な機械音でレンズが回転し前後にピントを調整し、狙ったモノへと一瞬で焦点を結ぶ。最近のカメラは無音で一瞬に焦点を結びピントを合わす。レンズが動くとその先に焦点を素早く結ぶ。時々カメラの動作が遅くピントを結ばないことがあると嬉しくなる。焦点のぼけた何ものかわからぬ世界。好きな世界だ。

人間の眼は、カメラの眼より素晴らしい程スムースに見るという行為を完遂する。途切れなく自然に遠くのものからごく至近距離までピントの移動を滑らかに行なう。近くを見て遠くのものがボケて見えることなど無いのは、物凄い脳の進化の賜物なのか。球形の網膜に映る光景は四角な画面では無いだろう。カメラが発明され、それ以前の絵画の額縁の四角からか、人は世界を四角で切り取ることに慣れてしまった。

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朝の光の中で観る、四角い家の中の漆喰壁は、豆腐の感触の様にも思えた。

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漆喰に藁のかけらが語る夏 無音





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青の暈しの麻の蚊帳を、カーテンに仕立てて夏を乗り切っている。温暖化の国になり、冬場も蚊帳のカーテンはそのままになっているのだが。

子供の頃、田舎で蛍をとって持ち帰り、蚊帳の中に放した。翌朝蛍は、蒲団の上で動かなかった。
子供心に、命の儚さを知った様な気がした。数日後の朝、蚊帳の中に手のひらに乗るほどのカラス色した小蛇が、蒲団の真ん中にいた。何が座敷童子が変身してやってきた様な奇妙な世界の朝だった。



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蚊帳越しの光景や、格子越しの室内の光景など、前に遮る物がある光景が好きだ。
ベール越しの存在が、当たり前になっている世の中のせいだろうか。
空気の様なものも、確かに変化を見せて存在し、その存在を人間は疎かにしてきたと思う。
その存在とは、情緒というものなのだろうか。

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