11月10日 [言葉]
“If somebody attacks Japan, we have to immediately go and start World War III, OK? If we get attacked, Japan doesn't have to help us.”
(「もし誰かが日本を攻撃したら私たちは即座に第3次世界大戦を始める、OK?だが、我々が攻撃を受けたら日本は私たちを助けなくてもいいんだ。」)
“If Japan gets attacked, we have to immediately go to their aid, if we get attacked, Japan doesn’t have to help us.”“That’s a fair deal?”
(「もし日本が攻撃されたら私たちは直ちに救援に行かなくてはならない。もし私たちが攻撃を受けたら日本は私たちを助けなくてもいい。」「この取引は公平なのか?」)
wikipediaより
取引大好きな、ハッタリで大統領になった男を、取り巻く人間たちの動向が気になりますね。
彼を操る世界はありそうですし。
(「もし誰かが日本を攻撃したら私たちは即座に第3次世界大戦を始める、OK?だが、我々が攻撃を受けたら日本は私たちを助けなくてもいいんだ。」)
“If Japan gets attacked, we have to immediately go to their aid, if we get attacked, Japan doesn’t have to help us.”“That’s a fair deal?”
(「もし日本が攻撃されたら私たちは直ちに救援に行かなくてはならない。もし私たちが攻撃を受けたら日本は私たちを助けなくてもいい。」「この取引は公平なのか?」)
wikipediaより
取引大好きな、ハッタリで大統領になった男を、取り巻く人間たちの動向が気になりますね。
彼を操る世界はありそうですし。
11月07日 [道具]
11月06日 [写真]
11月05日 [写真]
今日はペンタックスQをお供に町の郷土資料館まで散歩した。
大磯の裏駅から望む岩崎山、岩崎は岩崎弥之助の別荘がこの地大磯にあったから。以前は愛宕山と呼ばれていたそうだ。岩崎の別荘が明治時代に出来てから愛宕山にあった愛宕神社は西に移られたようだ。
東小磯の旧別荘街を抜ける道
別荘地帯を抜けると田園風景が広がる西小磯あたり
東海道線の列車が走ってくる。小田原に向かう列車の全貌を見せる光景。
田園地帯を歩く
また東海道線
錆びた用水と田園
土地神様
キャベツ畑が続く
以下郷土資料館から旧吉田茂邸まで歩く。コスモスの花と吉田茂邸のバラ園のバラを撮る
旧吉田茂邸は火災で消失したが再建して、来年お目見えとか。
見学者が吉田邸の中へ入って行く。
大磯の裏駅から望む岩崎山、岩崎は岩崎弥之助の別荘がこの地大磯にあったから。以前は愛宕山と呼ばれていたそうだ。岩崎の別荘が明治時代に出来てから愛宕山にあった愛宕神社は西に移られたようだ。
東小磯の旧別荘街を抜ける道
別荘地帯を抜けると田園風景が広がる西小磯あたり
東海道線の列車が走ってくる。小田原に向かう列車の全貌を見せる光景。
田園地帯を歩く
また東海道線
錆びた用水と田園
土地神様
キャベツ畑が続く
以下郷土資料館から旧吉田茂邸まで歩く。コスモスの花と吉田茂邸のバラ園のバラを撮る
旧吉田茂邸は火災で消失したが再建して、来年お目見えとか。
見学者が吉田邸の中へ入って行く。
11月04日 [人]
ピカピカに磨いた振り子時計のゼンマイを巻く螺子。
数年前にご近所の今年99歳になられる老人から戴いた柱時計。
振り子のガラスの円盤は大きな割れが入っているが時刻の変化に影響はない。十年以上前にお知り合いになり、いろいろな話をお聞きしてきた。
時計の振り子の動きを見るたびに、この十年が蘇る。
昭和十四年のノモンハン事変に、大正六年十二月二十三日生まれのその方は、22歳で参戦している。昭和八年第125代明仁天皇の誕生日と同日である。この日、十二月二十三日に東京裁判での処刑者がでたことも最近知った。
ノモンハンに戻ろう、陸軍航空部隊に所属したという22歳の青年は、日本から満州の牡丹江という町の、海浪飛行場に着いたという。日本からの経路はお聞きしていないが、着いて三日間は自由行動だったという。土地の空気に慣れさせるための自由行動だったとその方は語る。陸軍病院の視察がすぐに行われたという。その時はまだ20歳になられていない頃のことだったかもしれない。病院で負傷兵たちの姿を見せ戦場の怖さをまず身体で体験させたと話される。軍事教練や訓練を重ね、戦隊の中でも首席になる位置につかれたという。爆撃機の機関士として乗り組み、ノモンハン上空で敵機に、撃墜され聴覚を左右奪われたという。以来80年余、色々な体験をされてきた。彼が昭和20年代の後半に、澤田美喜さんという女性に会う運命の話は、また続きを書くことにします。
100歳に近い今、その方はアメリカに渡り、オバマ大統領に逢いたいと言われている。何を話すために渡米されたいのか、お聴きしておかねばと今思う。
その方は、同じ20代で台湾の高雄からフィリピンへ向けて、マッカーサーを南に後退させた作戦に爆撃機で参加されたという。
図書館へ「静かなるノモンハン」という本をリクエストした。
大きな時代の転換点を探るために。