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九月十日 [色]

 
   

     曼珠沙華緑布の海に咲き始む       muon





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稲穂はまだ青いのですが、もうすぐ黄金の田んぼになる気配。その前にスズメ除けの赤いネットが張られ稲の葉とのコントラストが美しい。このネットの色、彼岸花にも似ている色だ。
彼岸が近い日、場所によっては彼岸花の黄緑色の茎がニョキニョキと天に向かっている。

ネットの細い網の一本にピントを合わせたが、滲む赤のが美しい。






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九月九日 [花]

ジンジャーの花がご近所で満開である。強い香りが雨の中濃密に漂っている。香りの粒子が見えたなら、雨粒と混在し宙にとまり綺麗に見えるだろうに。
白い花弁に水滴がとまり、流れ落ちる。花を手向け今日の節句を思う。重陽の節句は菊の香が定番か。

昭和10年大磯鴫立庵境内に観音堂建立。観音像は孫文由来の化石を使ったものとか。10月入仏供養。
昭和6年 湘南海水浴道路の工事で93000人一日平均440人、賃金一日一円20銭で工事着工。現在の国道134号線となる。

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          じんじゃーの花手向けたり神の手に   むおん









九月八日 [世界]

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一日に世界中でフェースブックにアクセスする人が、十億人を超えたという。
世界の人口の何割にあたるのだろう。なんども同じ人が利用している数も多いのだろう。
電話で今やり取りする人はどれだけの数がいるのだろう。手紙では、ガラケーでは、スマホでは、メールでは、一秒間にどれだけの人がアクセスしているのだろう。

北京でタクシーを使う人に、スマホのソフトのウーバーを利用している人が激増したとニュースを見た。ドイツに移動する移民の手にもスマホが連絡や、情報入手の手段として使われているそうだ。コミニュケーションを得る手段が世界で急速に短くなった。でも地球の物理的距離は決して小さくはなっていない。数千キロを歩いて移動する移民たちの姿に、地球は小さくなっているのかという思いがした。大きな地球の時代が好きだった。何もかもが知らされる世界より、何か見えないものに畏怖と尊敬ができる世界のが好きだ。

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数十年前の製菓会社のマークの付いた風呂敷です。深い緑が落ち着いて木綿とあっています。









  天使の風呂敷で地球の秋つつむ    ムオン







九月七日 [花]

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     おんなかんなおんなかんなの寒さかな   万太郎






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寒さにはまだ日があるが、カンナの花の妖艶さと、鉋の刃の鋭い切れ味と、おんなの豊かさを感じとれる一句だと思うのです。言葉のリフレインは幾つもの比喩や暗喩が沸き起こってくる気がして好きです。



  日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも  塚本邦雄








皇帝ペンギンは今どこへ脱出し生きているのだろうか





九月六日 [かたち]

シェアーという言葉を初めて聞いたのは、十年ほど前だろうか。カーシェアーという言葉が最初だった。パスタ屋で何人かで食事をしたとき料理をシェアーされますか?と聞かれた。
最近ではカミさんが、観光地で一般住宅の駐車場のシェアーができる。という話に驚いた。スマホで空いている家庭の駐車場の検索と、支払いが出来てしまうのだという。一体料金はどう払うかわからないのだが、便利な世の中だ。

信頼関係が築かれなければ上記の事は実現出来ない。今朝の新聞では、一般家庭のトイレもシェアーできるアプリが登場しているという。アメリカでの話なのだが、他人を我が家のトイレに招き入れるまでの行為、如何なものか、もしもの時にはと銃までアメリカの家庭には備えてあるのだろうが。公共事業やビジネスとして有料のシェアーサービスはあったが、これからは民間や個人が有償、無償であれシェアーをしていく世界になっているのだろう。
シェアーとは、SHAREとはシェアとは、共有(する)、分配する、分かち合う、分け前、割り当て、役割、負担(率)、占有率などの意味を持つ英単語。イギリス英語では株式、株券などの意味もある(アメリカ英語では“stock”)。とある。

分配する世界、ピケティの話題もその一連なのか。しばらくシェアする世界から目が離せない。
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画像は我が家の壁を、家族で漆喰塗りするためにテストで何枚か試し塗りした見本のもの。
地元の土を少し漆喰に混ぜ込み、色を求めたサンプルも作った。光の差す漆喰壁の表面は何か優しい。






   洋梨にナイフ等分割に地球割る    ムオン







九月五日 [雲]

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最近見た雲です。雲には色が無く、黒か白か灰色かと無彩色だと思っていたが色があるんですねー。茜雲、夕焼け雲、紫雲、いわし雲、雲自体には色が無くても光の具合で立派に五彩があるんですね。虹雲や光彩雲というのもありました。最近は虹を見ていないが、虹の出るときの雲も色を感じますね。墨に五彩ありというのを思い出しました。雲はモノクロ、海は青、葉っぱは緑と頭が思い込んでいる世界ですね。色という世界も不思議です。色即是空、空即是色、何が不思議なのか自分でもよくわからない。無色とは何か?







     雲の切れ端百グラム秋の町で買いました    ムオン







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九月四日 [かたち]

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今年の夏、百均で買った麦わら帽子。どこの国のどんな人がどこから素材を仕入れ幾らで作って売っているのだろうか。その麦わらが育っている光景を思い描く。風に揺れる草。人々の家。人々の交流の道路。その先の国境の向こうでは内戦が続いているかもしれない。洪水に流される町と、建設中のマンション。果てし無く連想は広がる。

今年も熱中症から守ってくれた人が作った帽子。






    ジンジャーの香りの届く国を飛ぶ     むおん











九月三日 [人]

模倣問題で世間は揺れている。デザインの模倣に関しては古くから争いがあった。そもそもオリジナルとは何なのだろうか。世の中に存在するもので占有が限られているものは存在するんだろうか。人は模倣して文明や文化を発展させてきた。オリジナリティを出すために数年間の時間を費やそうと、一瞬のアイデアで何かを生み出そうと、創作の時間がその保証にはならない。しかし国際的にオリジナルであることを証明する機関があっても、それがすべてではない。
ことが起こって、どう対処したかのプロセスが見えてこない。コピーであるとする相手が要求したことは何だったのか。創作のオリジナルは間違いないと制作者側がいいながら、家族や仲間のために今回の受賞は辞退するとは、自主的に制作者が本音としていったことなのか。
オリンピックは国家の祭典から、企業の祭典になって久しい。企業の経済力を伸ばす祭典が個人の家族や仲間の人権を侵害していいものではない。

経済という魔物が、泥沼化する人間の欲望を前面に噴出させているように感じるニュースだ。
専門家たちにはオリジナリティが守られているとの主張が、一般大衆には一見して模倣に見えるという主張の勢力が強いので今回の採用を中止とした、という主張は何か甘すぎる。
専門家集団は、少数派であっても何故その主張を強め持続しないのか。あまりにも悲しい。
世間が認めないから、中止にした。制作者が言ったから幕を引いた。
なんとも無責任体制の決定だ。おまけに新しい応募の条件は門戸を広げ応募者の数を増やすようにするという。なんとも専門家という人たちを見くびった決定だ。応募が多けりゃいいのかな。応募作品全部を採用して変わる代わりにマークを変えたらどうかね。この際。ある企業が数秒ごとにロゴが変化していくスタイルの実験をしたのを見たコトがある。今の時代複数のロゴマークでも違和感なし。おまけに印刷物はすべて止めて、ウェッブ上のみで展開なんて言ったら画期的。損失コストも激減するし。


日本のデザインや文化に対する底の浅さを感じ、嫌になるニュースだ。

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長唄用の三味線の撥。プラスティックなのだが実用的な機能は不明だが、その素材の色と透けた厚みからくるグラデーションが美しい。象牙の撥に比べコストは安いが美しく感じるものは好きだ。模倣の一つの仕組みを見る思いがした。

今回の模倣問題のデザイン、人間が考える問題は美しいという一つの回答だと思う。
作曲者が別人で大騒ぎになった事件、その曲が美しいかより、人が問題になった。ものよりもコトが重視される時代。今回のデザイン類似事件も人間同士のコトの処理が重要なのだろう。
デザインの類似は、今に限らずたくさん発生する。それをどう処理してきたのか。これからどうしていくのかが問われるニュースと深く思った。

追伸:首都の代表が問題の模倣事件のデザイン処理がされた紙袋を持って、紙袋の機能は無くなっていない。この紙袋は最大限に有効に使います。といっていた。何かおかしい。機能は袋だけで無く、デザインにもあるのだろうに。何か情報時代に袋はまだ使えますと言ったその姿に違和感が残った。この袋に「これは事情がありデザイン中止となった袋です」とでもシールをつけるのだろうか。




     

      ものまね止めたと日本人また萎縮      むおん






九月二日 [いのち]

子供の頃使っていた真鍮の洗面器がある。分厚く重くその表面はごつい程に凹凸ができ真っ黒な表面は石のようである。その洗面器を偶に磨く。ピカールという磨きだしの材料や、クレンザーのような磨き粉をボロ布につけてひたすら磨く。凹凸の中なら凸の部分を中心に黄銅色の輝きが浮かび上がってくる。ブロンズ彫刻のようなまったりとしたぬめり感のある輝きが出てくる。
闇から光が射すように、命が少しだけ生きずいたかのようにひっそりと輝き出す。磨きすぎてはいけない。毎日ほんの少しだけ磨く。ひたすら少ない時間無心になって磨く。

子供の頃高熱を出すと、この真鍮の洗面器に水を入れ手ぬぐいで絞って額に乗せてくれた人がいることを思い出した。微かな光の中に輝く昔の光も潜んでいるような気がした。器の中央に小さな数字の刻印がある。掠れて摩滅した数字だが54と読める。軍用の洗面器の備品だったのだろうか。重いその洗面器には古代から存在するような不思議な風格がある。
無数の傷と、時代の風が刻み込んだ刻印が、どの角度にも見えて来る。

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     真鍮の洗面器にも秋の風     むおん










九月一日 [樹]

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椰子という植物は、恐竜の時代から生き延びのびてきたのだろうか。その鱗のような木肌に何か熱帯の息吹も感じる。溶岩が似合うような樹木だ。空にいっぱい葉を広げ生命感に溢れている。

大正十二年九月一日 吉田健一、十一歳は箱根富士屋ホテルに家族と一ヶ月以上滞在、関東大震災を箱根で体験、難を逃れた。健一の父は戦後総理大臣となる吉田茂で、相模湾の中央付近の海辺の大磯に幼少時代から別荘があり、のちに本籍も大磯に移し吉田御殿と呼ばれた。

その十年後湘南大磯の別荘地帯は倒壊したもの廃虚のままで、復興の兆しなし。本宅がほとんど東京にありその復興に追われ、別荘までは手が回らなかったのだろう。震災当日大磯の海岸で人々は、小田原方面から鎌倉方面に東行する津波を見たという。震源地と地震の規模により津波は沖合いからくるものとは限らないのだろう。相模湾を西から東に向かった津波は、鎌倉の河川に入り海沿いに大きな被害を出したという。






  地震(なえ)奔る深き記憶の闇の秋     無音















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