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2月9日 [いのち]

今朝の朝刊を開き、ここまで来たのかと愕然とする。
1.総務大臣が、放送局への業務停止に関し答弁、放送事業担当者は反発して、「政府権力が中立性の名の下に自由な言論を抑え込むべきではない。

2.有事に船員活用。防衛省計画は、「事実上の徴用」と海員組合。予備自衛官として民間の船員を、民間船にのせ、10日間の訓練で戦場に送る制度が今年から始まる。第二次世界大戦では、船員の犠牲者は6万6千人で死亡率は43%、海軍の死亡率16%、陸軍20%、を大きく上回るという。

3.神社維持 自治会費など、国民全体で負担。信仰の自由はこの国では軽視されているのか。神社本庁など緩やかに国家の体制と繋がり強化の恐れはないのか。

以上キナ臭い毎日が今日も続く

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日常に戦争の気配が撒き散らされ、嗅覚を麻痺された人々は、異臭を異臭とも思わなくなるだろう。
その異臭も「経済指標」という甘い嘘くさい香りにかき消されているのだろう。
豊かさとは、あなたにとって何ですか。

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一日一花、本を開く。
要という枝。かなめ、自分のかなめとなるものは、何ですか。この国の要とは。

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八百屋で蕗の薹を一パック。
フタを開けると春の香り。
天ぷらにして、蕗味噌にして、味噌汁に入れ、一パック100円。
野でとれば只なれど、畠のは持ち主がいる。
室内に立ち込める、春の香りが、新聞からの、いっときキナ臭さを浄化してくれる。
ありがたきかな


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戦場に踏まれし蕗の薹幾多 むおん








2月8日 [いのち]

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ガラスに美術館のガラスの窓から見た水の流れる光景です。ガラスと水と雪と光と、その繊細な光と影。
湯本では不思議な新しい店に出会いました。梅原猛先生の絵と文字が若々しい。
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箱根の山の上で求めた、乙女峠から見た富士山の冬景色のポストカードです。絵葉書って観光地ではあまり売れなくなったんでしょうね。カメラもよくなったしスマホで撮って、その場で遅れてしまう世の中。同じような画像が絵葉書よりも簡単に撮れてしまう。プロは何年もかかりその美しい風景の光と影を捉える。簡単にできちゃうことは有り難みもなくなること。なんでしょうね。




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最近読みました、戦争というものの一部がわかったような気がします。
国家とは何か。考えさせられる本でした。
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ずいぶん昔の本です。でもその頃からどう変わったのか、変わらないのかが読めばわかります。
柳美里さんの北朝鮮訪問気もいつか読みました。
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2050年シンギュラリティというコンピュータが行き着く世界から何が生まれるか、非常に興味ふかい本です。その頃は衣食住がフリーになる時代が来るそうです。お金という貨幣経済が変わり、人々はシェアーしあう世界で、物々交換にも似た楽しい世界が訪れそうな気配です。一方で奴隷のように支配者やコンピュータに、統治されない世界を望みたいものです。
同様の本で、「エクサスケールの衝撃」PHP研究所。「限界費用ゼロ社会」と「共有型経済の台頭」NHK出版が興味ある本だ。


2月7日 [写真]

一昨日に箱根湯本を訪ねた時の続きです。櫻木薬局の絵葉書のコレクションは、横浜で1000枚近くのガラス甲板が見つかったことから、それを復元されたようで、何故横浜で発見かにも興味が募りました。
横浜の老舗有隣堂書店の広報冊子に、絵葉書は横浜に来た外人たちが日本から帰る際、まとめて買って帰ったという記事がありました。それは観光地の箱根も多くの外国人が訪れ絵葉書の需要が多いことを物語っていました。横浜絵葉書といえばモノクロ写真に着色を加えてカラーにした、「横浜絵葉書」が有名でした。横浜の女性の内職源として貴重だったようで、一人で4枚のハガキを彩色し、20銭だったそうです。絵葉書一枚の値段は5銭。明治の時代の話です。
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数々の展示の中で、箱根駅伝初回の話もありました。東京を午後一時にスタートした駅伝は、第一回1920年の大正10年、小田原の通過は午後六時から七時だったそうで、冬場は真っ暗になっていますね。小田原中学生の提灯に先導されて山登りをしたとのことです。舗装されていなかった箱根の夜の山道大変な駅伝ですね。最終ランナーがゴールしたのは夜十時とありますが、これは東京まで夜走ったということでしょうか。凄い9時間のレース展開です。おまけに参加校は4校、筑波、明治、慶応、早稲田大学だった書かれていたのでは。
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雪の箱根の写真もありました、明治か大正かの時代芦ノ湖の彼方に突き出した箱根離宮の建物も確認できます。その下が箱根関所にあたりますか。
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現在箱根恩賜公園となった箱根離宮の表玄関付近の写真もありました。
古いガラス甲板を撮影しパソコンで処理をして撮影者のお孫さんにあたる現在の薬局の御当主が再現されたのだそうです。
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ロシアに持ち帰られてマトリョーシカという人形になった、入れ子の12卵の現物も展示されていました。おなじみのケロちゃんシリーズは薬局のアイドルでした。
今でもご高齢の職人さん一人が、12卵を作ることができ活躍されているとか。すごい技ですね。

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この日は何か絵葉書に縁のある1日でした。続きはまた明日。




    絵葉書に元気ですよと冬の山   ムオン




2月6日 [時]

昨日は箱根湯元にいました。湯本の繁華街の路地をはいった一角で素敵な薬局を見つけました。表に大正時代の箱根の写真がたくさん展示され、壮観です。薬局の中にもどうぞと案内され階段三階まで、箱根の絵葉書所で満載です。先先代の方が絵葉書の原板を撮影し、絵はがきにして観光用に販売されていたようで、ガラス甲板から引き伸ばしたモノクロプリントも額に入り並びます。撮影されたカメラも置かれ凄い。朝方湯本の先塔の峰の、阿弥陀寺の大正時代の写真もあり茅葺き屋根で写っています。
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江戸時代の今から300年前に小田原の久野という大きな庄屋さんの家を本堂にしたそうで、大黒柱は幅60センチはゆうに超えていそうな構えです。
昨日撮影の阿弥陀寺は、以下の姿です。
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皇女和宮を祀る寺院としても有名なのだそうです。紫陽花が苔むした参道に咲くころは多くの人がお訪れるそうです。現在の住職が琵琶の名手で、琵琶寺、または紫陽花寺とも言われているそうです。
日本に四つしか現存しないという、巨大な数珠を回す装置が本堂の前に寄進されています。数珠の話を回すと木のきしみでチベットの山頂に鳴り響くような重低音の音が体の上に滝のように落ちてきて快感です。
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皇女和宮は麓の旅館、環水樓で静養中に逝去されたそうで、伊藤博文の薦めで東京から来られたとのこと。徳川家の将軍家茂は若き生涯を終えていた時のことです。阿弥陀寺には家康が戦場にも運んだという念持仏が和宮に贈られこの寺で拝観できます。和宮の写真も小さなものが祀られていました。
小さな写真では彼女の指先がなかったという真相もわかりませんでした。
篤姫も菩提を弔いに此の地まで訪れたということです。
激しい川の流れが姫たちの生涯を知っているかのように流れていました。
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熱海の昔の写真も、湯本の薬局には飾られていました。
坂を降りれば海があったのでしょう。大正時代の熱海でしょうか。
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早川の河縁をしなやかに猫がやってきます。野良かな

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  水のように体運びし猫の春  ムオン







2月5日 [光]

箱根まで出かけてきました。いろいろ新発見がありました。
早川にかかる吊橋のライトアップから。image.jpeg

2月4日 [時]

昨日は秦野出雲大社分社の節分会に、行ってきました。
伊勢ヶ濱部屋の、横綱日馬富士や、安美錦と関取たちが、豆撒きをしました。
豆撒きは、沢山の人出で、福豆1袋だけゲットで満足しました。
隣のおばちゃんは、10袋ゲット。流石です。
帰り道ドブに景品の紙を抜き取った豆が、無残に捨てられているのを見ました。

捨てたひとには、何か罰当たりの事が起きるだろうと思い悲しくなりました。
飽食の時代、飢えとは何か知らぬ人なのでしよう。

日本人力士の活躍も少ない事が、豆の姿と重なって当然のように思えてきました。
豊かさとは何か考えさせます。
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2月3日 [鳥]

今日は神よりの使者と言われていたカラスの肖像です。
鳥の画像が苦手の方は避けてください。




近くで身繕いを見ると、以外と賢そうな姿です。
ハシボソカラスか、クチボソカラスか定かではないのですが若鳥のようです。
彼が真っ白だったらまた違った印象を人間に与えていたのでしょう。








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  玄い空に真冬の影叫ぶ  ムオン


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   黑き羽根冬の産毛か今朝は寒 ムオン


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       振り返る若き頭脳の明烏   ムオン


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      濡羽色を墨で塗る冬の鳥    ムオン


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      蒼き闇にはカラスの一声   ムオン


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     彼方よ神の使者待つ豆播く日   ムオン











2月2日 [俳句]

長崎に行けよと言いし芥川龍之介
亡き長崎を見し 直木三十五



龍之介が自死した後に、長崎に行った直木三十五が揮毫した短冊だろうか。
芥川賞と直木賞作家の二人が仲良く短冊の中にいる、好きな短冊です。


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萎びたる蜜柑の精の二つあり むおん







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2月1日 [写真]

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昨日で閉館となった鎌倉近代美術館の鎌倉館、彫刻展示の中庭にある、イサムノグチの石像。コケシのようなフォルムが最初馴染めなかった。近代というモダニズムを纏っていない田舎臭さを感じてしまうから。自分の中にある田舎臭さのコンプレックスがこの石像に、違和感を感じさせるのだろうか。


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二階から一階への階段のアプローチ。金属の手垢に磨かれた手摺りが優美な曲線を描き壁の下部に消えていく。反対側の石の手摺りと対照的に、彫刻展示の中庭に誘う。中庭から見てこの手摺りの周りの全てが、人体をすっぱりとカットしたような構造のように見えた。美しい彫刻作品の断面のようにも。

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階段自体が軽やかに浮いている感覚。この建物の細部が、宙に浮かぶ感覚。西洋の彫刻はその重心が大地に根ざしている感覚。日本の仏像は宙に浮かぶような感覚。この美術館も大地と池の上に静かに浮かぶイメージで作られている気配がする。

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ゆるやかに うかび 空を纏う

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池の上に顔を出した石の上の柱たち、石の下に柱が隠れて建ち、池の上に石が浮き、その石の上に柱が軽やかに立つ構造と知った。軽やかに見えて基礎はしっかりと作られていたのだ。
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