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6月10日 [旅]

隣町の小田原に出かけました。何か旅をしているように光景を眺め、写真を撮ると本当に旅をしたような気分になります。誰かが、旅は見知らぬものや、見知らぬ事に出会う事。もう一つ、懐かしいものに、出会うことと言っています。

今回の写真は懐かしさに溢れたものを撮りました。

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6月09日 [アート]

縄文時代に最初に縄を綯った人のことを思う。縄は蔓が絡む枝を切り落として、ヒントを得たのか。
長くなった髪の毛を束にするとき、指先や掌が縄を綯うという行為にうつったのか、想像するだけで面白い。人間の子供は大人になるまで、40000回の質問を大人達にするという。「何故、人は言葉が喋れるの」「何故大人は嘘をつくのに、子供が嘘をつくと怒るの」「何故」

ロープが雨の中引き摺り回される。縄の軌跡がデッキに刻印され消えていく。
李朝の民画に、糸に絵の具を塗り、二つ折りした紙の間を強く引き抜くと、糸が滑った軌跡が見事に残る。友人が「糸抜き絵技法」というこの遊びを昔教えてくれた。
雨の中を犬が転がすロープの軌跡は、大綱引きの軌跡として大地に描いてみたいと思う。

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大縄が梅雨の大地に描く夢 無音







6月08日 [人]

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珊瑚草の花が咲いた。南国イメージが強い。

数年前に30代を過ぎた長男が、ポツリと言った言葉が気になる。
「お父さん、中国の知らない街へ二人で行って、お父さんを置き去りにして見たい」という欲望があるんだと彼は言った。何故と其の時聞かなかった。

北海道で7歳の少年が、親にお仕置きだと言われ山中に残され1週間を経て無事発見された事件を思い出した。誰か1日歩いた少年が発見場所にいるのではという推測を立てなかったのだろうか。多勢の捜索者がしらみつぶしに歩いた山中から発見されると思っていたが、少年の心理になれば親を探すことにだけ集中して歩いたのだろうか。

長男に昔子供時代に何か、お仕置きで何処かへ置き去りにするよと言ったようなことがあるのかと考えた。彼が小学5年生の頃家族で出かけた山の河原でのキャンプで、一人で山に入った長男が3時間ほどみんなで手分けして探したが、見つからず最後に林道を尾根の方面へ上がると、山で拾った鹿の角を手にして林道を歩いてきた長男に出会えた。

その後彼は大学を留年して十代の後半にインドを一年間放浪した。インドの見知らぬ街へ、自分と同じように父親にも体験させようと、ふと思ったのかもしれない。日本人に出会うのが嫌で一切日本人には一年間口をきかなかったという。鹿の角の延長線でインドがあるのかもしれない。

若き日の体験は、人生に大きな影響以上の何物かを与えると今思う。それが何かの引き金になるのは、自分次第なのだろう。見知らぬ街に息子に置き去りにされた自分はどうするか、今も困惑の話だ。
彼は親離れのために、こんなことを考えたのだろうか。いつか機会があったらそのわけをそっと聞いてみたい。

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       天幕の裏走り抜け鳩夏へ  ムオン






6月07日 [写真]

写真を撮った、シャッターを押した瞬間の事を覚えていることがありますか。その前後の事も思い出すことがありますか。シャッターを切りその画像が思っている通りか、それ以上と予感が働き、頭の中にいい瞬間が撮れたと記憶することがありますか。

俳句の世界で、正岡子規や、ホトトギスの俳人たち以後は、視覚的世界が強まり、それ以外の情緒が抑えられたという文章を読みました。匂いや音や触覚や味覚の感覚が鈍くなったということなのでしょうか。視覚優先社会の今なのでしょうか。

1960年代に鎌倉の祇園山辺りから撮った、スライドが出てきました。中央に15両編成の横須賀線が写っています。煙がたなびいている夕方の光景です。煙の匂いや樹々の香り、下界の騒音も聞こえてきそうです。遥か稲村ヶ崎の遠望は今も同じでしょうか。
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鎌倉今昔というスマホ用アプリに、1980年代の鎌倉の光景がありました。以下引用です。

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同じアプリで、現在の光景がありました。

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関東地方も梅雨に入り外の景色は、湿度たっぷりです。

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数日前、海に向かうアオバト達が、樹々から様子を伺う光景が見られました。梅雨に入り山から海までの飛行は厳しいものを連想します。雨の中を一時間飛行して海に出て海水を呑むアオバト達。

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秋でもないのに高層雲の筋雲が毎日観られます。

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6月06日 [写真]

50年前の写真を見ていると、当時考えていたことが蘇ってくる。
色見本帳が好きでたくさん集めていた。断面を見ると地層のようで特に好きだった。
その断面を捻り撮影した。
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その断面に授業で習った銅板印刷をすることができないか考えた。色見本帳の幅を限りなく細く切りそのまま捻ると厚さが数ミリの紙の配列になる。それを銅板印刷のプレスにかければ印刷は可能になるはずだ。薄いグラデーションの紙を何枚か作成し銅板にかけた。今その作品はないが頭の中でもう一度呼び出すことはできる。不思議な世界。
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写真の授業で、お菓子のカルミンを買い込み、スタジオの床に紙を敷き並べた。中央にお気に入りの丸く切った写真を置き、高い位置から俯瞰で撮った。ライティングでカルミンの影が希望通りに広がった。

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何気なく撮った切り株の上の、自転車のベル、光る鉄の質感に洗濯物の列が写り込んでいるのが見えるのが懐かしい。フィルム特有の粒子感とボケの世界を思い出した。


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   過ぎ去りし写真の記録夏が往く  ムオン






6月05日 [あこがれ]

サラリーマン時代、やってみたい憧れがあった。たった一度だけでもと、勇気を出して実行した。東京駅か大阪駅での実行だった。改札口を抜け外に出る前の駅構内に小部屋のような薄暗い空間があって、高さ1メートルはある高い床の上の椅子に、私は座らせられた。左右の椅子にもサラリーマン紳士らしき客が座らせられている。高い壇上の椅子からは、駅の改札口へ行き交う雑踏がよく見え聞こえても来る。新聞をどうぞと、憧れの時間が過ぎ去る間渡してくれたのは、おばさんだったような気がする。
そのおばさんは床の小さな椅子に座り靴を磨いてくれた。

古風で優雅な、何か優越感と恥ずかしい時間でもあった。高い壇上の眺めは最高、壇上から降り、いくら払ったのかも覚えてはいない。今から30年以上昔の話だ。会議があるので足元に気合を入れて参加するためだったか。朝革靴にソコソコの手入れと、靴の中で相応しいものを選んだ気がする。
革靴を履いてするような仕事を余り好きではなかった。

出世をして時々靴磨きを楽しみとする、時代はこなかった。

昨日東京駅北口に靴磨きのおじさんが営業中なのを見た。
ネットで検索すると、路上の靴磨きをされる方は12名だという。権利を持つ方が亡くなると数は減るばかりなのだろう。外人さんの客も場所柄いそうだ。

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家に帰り、アサヒグラフ戦後50年という20年前に発行の写真集を開く。
1949年の神田の靴磨き あった。
下駄を履いた靴磨き、革靴は貴重な時代だったのだろう。全国に靴磨きの人たちは多かっただろう。今革靴自体が少ない時代だ。消えゆく職業をみて、50年後の世界には今あるかなりの職業が廃止されたり機械やITに置きかわっているだろうと感じた。

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1946年新憲法交付式典の写真、皇居前だろうか
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1948年の三等車と題した、頭陀袋の大きな荷物は何だろうか。

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1949年総選挙の開票速報を見る人々。有楽町にて。

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最近はメディアで、群集を写さない。
何故だろうか。群集はマラソンや、サッカースタジアムの群集などはよく写る。
負のイメージの、デモ隊や、原発からの避難民などは写さない。
マスコミの自己規制がより強まっているのだろうか。

6月04日 [写真]

1966年撮影のコダックリバーサルフィルムによるスライドが出てきた。今から50年前の撮影、自分が十代の後半に差し掛かった頃の撮影だ。当時はフィルムも現像代も高かった。スライドで映し出すプロジェクターを買った。カメラもプロジェクターもオリンパス製。ハーフサイズカメラの秀逸なデザインと機能のオリンパスペンFだった。フィルムは憧れのKodakのASA25コダクローム。50年経っても濃くのあるあのカラーが鮮明に残っているのには驚く。埃があるがカビはない。

撮影箇所は横須賀の港と、日本帝国海軍将校クラブが、米軍のEM倶楽部となって数々のジャズシンガーやバンドたちがステージで共演もした。今はないがその建物の窓は懐かしい。
写真家、石内都さんの名作写真集にもこの窓の内側から撮影したショットがある。同じ窓の形を横浜山手の洋館に見たときは懐かしいものを感じた。

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50年前の横須賀の海と米軍基地、ガントリークレーンのある巨大なドックも当時は存在したのではなかったか。青い深い海が原潜や空母の放射能で汚染されないことを願う。ここ横須賀も基地の町のままなのだ。中学時代にこの街で過ごした。同級生に沖縄から来た男性がいた、彼からパーカーの万年筆をあげると言われたがなぜか断った。母と子で沖縄から横須賀へやってきたという話だった。

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  半世紀老婆となりしモデルの夏  無音

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  コダックは世界中同じ誦みの夏  ムオン

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 愛犬の半世紀前の夏色褪せず むおん

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6月03日 [アート]

昭和2年の1927年6月3日 神奈川県下での野犬買い上げ数1290頭。大磯では50頭。野犬でなく飼い犬も当時は、放し飼いのため野犬より飼い犬の占める割合が多かったのではないか。
当時の放し飼いの犬たちは首輪もしていないものもいただろう。狂犬病予防の注射や、獣医にかかれる飼い主も少なかったろう。今のペットブームから見ると、命のあり方の違いに驚く。
犬は犬らしく、人は人らしい時代だったのかもしれない。

今朝北海道で、親にしつけのため置き去りにされた子供が1週間ぶりに見つかった。少年の野生の行動を何か見るような気がした。大都会に起きざれにされた子供と、大自然に起きざれにされた子供の違いを見た。命があり見つかって本当に良かった。

昭和6年 横浜市電から大磯へ大量の螢の発注があったが、捕獲方法に行き詰まり断念した。
螢を放って市電の中から楽しめる螢電車の企画だったのだろうか。螢が住む町と、螢が市電で観れる町、そんな時代が「螢の住む大都会」のテレビ広告に重なる。きっと今でもLED製の螢なら実現するだろう。本物の螢の飛ぶ世界のが好きなのだが、それも将来実現できるかもしれない。
明るすぎる都会の夜の空を見ながら思う。電気をこんなに使うことに麻痺した世界の姿を見ながら。

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ミニチュアのビキニの人物が無人島で手を振っている








    初夏の海島で手を振る鉢の人   無音






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    島の女三人の夏歓声が むおん

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  語らうは平和のことより夏休み  むおん

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6月02日 [かたち]

セルリの花が咲いていた。セロリの香りがする。セルリかセロリか、ふと気になる。
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ズッキーニの美しさで買った、模様は草間彌生さんのかぼちゃに、そつくり。
ユニクロで買ったTシャツ。

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サンゴ草と呼ばれる花。挿し芽でつくといいのだが。

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6月01日 [道具]

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衣替えの季節だろうか。人間は沢山の衣類を持ち、季節に合わせ衣類を換えて環境にあったもので生活する。三十年か四十年前には、三揃いの上着に帽子といったいでたちの人がいた。
百年前にはもつと、何枚も着込んだ重装備だつた。衣類の素材が厚手だったこともあり、
重ね着で太めのルックスの人が多かった。現代は軽装化で、Tシャツ一枚でも外出着として通用する。
誰かが人間の衣類は、肌着や下着だったものが外へ露出して行くと言った。

下着と昔呼ばれたものが、今では普段着になる。

気軽な言葉が、支持されるのと同様、気軽で心地よい服が支持される現代。人類は裸の時代へもどつてしまわぬように危惧するのだ。


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