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9月10日 [人]

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コンシェルジュ孝
テレビで高級マンションのコンシェルジュが、職場のマンションの有名人の部屋に侵入したという。

鍵は最近では指紋認証や、瞳認証、その他の電子的な認証キーのシステムがあるだろうが、人間を部屋に入れるためには、人間が介在するのが最高の信用となるのだろうか。

人件費か、機械化によるコストカットか。サービス業に人間が何処まで関われるかは信用というものの考え方によるだろう。

コンシェルジュとは、執事という職業の名に由来すると聞いたことがある。
伝統ある家柄の中で、ある階級の人々は執事や、メード、運転手に、庭番、門番までの多くの人々を雇い入れ、信頼関係を持って暮らしを維持していた。

日本のマンションという言葉の氾濫や、メゾン、アパートメント、キャッスル等、本家とは別次元の名前で恥ずかしくもなく、むしろ誇らしげに生活しているのが実態だ。

何もかもが本家がいいといっているのではない。日本には、大家がいて、管理人さんがいて、清掃の人たちがいる。呉服屋の番頭さんは、お馴染みの家族構成から、趣味思考までよく知っていた。旅館の番頭さんも凄かった。

ホテルのドアマンが、顧客の顔を覚え、車のドアーが開いた音で、どの車種かわかるまでに記憶をし、ありとあらゆる心配りを出来るキャリアーを持っていたという話を聞いて感心した。

あるホテルのコンシェルジュは初老で銀髪の髪をきちんと整え、初めての客には静かにそのホテルの歴史から、御客が求めることには、過剰にならずに説明出来る能力の持ち主だと聞いた。

数十年前にある大会社の受付嬢が、まだおられるかと尋ねたら、無人の受付で館内の部署の電話番号がおいてあった。


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数年前、都内の百貨店の受付嬢に買い物のヘルプを頼もうと思ったら卓上の画面が3台、タッチパネル式で置いてあった。

数ヶ月前のあるセミナーで、レストランの顧客情報を数年前から、コンピュータで管理していたら、人間よりも行き届いた情報をマシンが処理してくれるので、人間の出番がなくて、これからどう人間はサービスしたらいいのかと質問者がいた。

人はもろもろの道具の機械化のお陰で、楽をすることができるようになった。機械は人間のように間違いを犯さない。でも人間の融通さで人が救われることは多い。

コンシェルジュに尋ねて、コンシェルジュに頼んで、コンシェルジュの信頼できる顔を見れば優雅な生活が、金はかかるができるのか。

本物のコンシェルジュになるためには
どんな教育が必要なのだろうか。コンシェルジュを使える人の教育が一番最初に必要なのかもしれない。

職業の名は不思議です。名前が先か、中味が先か。

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9月09日 [世界]

ダイソウという百円均一ショップへ最近行って驚いた。漢字では大創と書くようだが品揃えが凄いカラフルだ。10年ほど前には自然素材と国産の商品もかなりあったような気がするが、今はすべて海外生産のアジア中心の品揃えだろう。商品に貼られている原産地表示のラベルを見るのが楽しい。VietnamとかSri Lanka、Bangladesh、世界の工場China。国別だけでなくて州や郡や町まで載っていると凄いのだが。

カラフルな商品群とともに、品数は膨大な種類とバリエーションに渡るのだろう。何故か店内の展示を観ていて、日本でなくアジアの街にいる錯覚に囚われた。台湾か韓国かインドかシンガポールか中国のある都市の街角の店にいるような錯覚。

一昔前、欧州からのアパレルショップの商品タグが何ヶ国語の表示になっていて驚いたことがある。日本に来てお土産で買われる百均商品や、海外進出している百円ショップと、その国の類似ショップの品々。
急激に世界が均一化しているのがわかる気がした。

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近い将来、3Dプリンターが各家庭に一台普及する時代には、海外から土産物を買って運ぶのでなく、現地からお土産のデータを送れば、家の3Dプリンターで出力される時代が来るという。

それも一瞬で様々なオリジナリティが含まれた商品ができるという。
そんなデータの道を表した、地球の海底ケーブルの地図があるそうです。
100年前の太平洋横断無線電話も海底ケーブルで繋がれていたのだろうか。

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世界最初の海底ケーブルは1850年ドーバー海峡に開設されたという。

9月08日 [アート]

「横浜絵」というものが明治時代にあったそうだ。絹地に洋風の陰影をほどこし写実的に描いた肖像画や風俗画を指し、外国人のための土産物や輸出用に作られたという。安物の寒冷紗に描かれたものから、高価な一枚ものまで多様だという。
1850年代の香港や上海では注文肖像画や、輸出絵が工房で製作されていた。横浜へも長崎や船からの伝播でたどり着いた可能性もあるそうだ。

興味深いのが、写真をもとに絵を描くことが一般的で、写真家と組んだ画家も多かったという。五姓田義松は一家で、工房をなし仕事に当たったという。浮世絵師の伝統が、近代の日本の洋画の世界の入り口にもなっていった過程が興味深い。そういえば写真の歴史の中で、最初絵画を模倣していることが興味深い。
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五姓田義松一家の図とある、明治5年頃の油絵、作者の義松は18歳くらいか。
一家で絵を分業でも描いて生計を立てたのだろうか。


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明治初期に描かれた、家族で合作中の図 鉛筆画


印刷技術が発達すると、絵画も写真も大量生産の流れに乗り、ネット上の現在の画像の時代へと凄まじい速さだ。

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13歳の五姓田義松の自画像は、父親の芳柳から駄菓子やこずかいをもらう年齢にしては誰が描いたかも、わからない謎の絵だという。
義松は、武士のたしなみとして、7歳の頃から剣術を習い、父の意向でワーグマンという画家に10歳で弟子入りしたという。13歳の義松の描かれたのは1867年慶応三年頃のことだという。同門の画家に、高橋由一という鮭の絵で有名な画家がいる。

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義松が23歳の頃描いた、横浜山手の洋館と、自画像。


写真の露光時間は当時でも数分であろうが、絵画は数日間も描きこむ時間がかかる、この時間の差は何か不思議なものを感じる。
時間とは何か?写真とは何か?世界とは何か?

キーボードになって打ち込み文字数が増えました。より簡潔に少ない文章となるように考えねばいけません。


9月07日 [人]

1974年発刊の、イメージの翼・細谷巌アートディレクションから
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何処か尊敬する写真家アービング・ペンの香りが
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学校の大先輩に、グラフィックデザイナーの細谷巌さんという方がいらっしゃいます。12年ほど前に「細谷巌のデザインロード69」という本を出しておられ最近読みました。

69歳。アートディレクター50年。ROUTE66にかけた素敵な表紙の本です。
1935年生まれの細谷さん、本名はイワオさんだったのが広告業界に出てからホソヤガンのがいいと言われ、ガンさんになったそうです。名前でイメージがやはり大きく違いますね。

19歳で当時花形だった日宣美展の「特選」を受賞されたそうです。その時の先品がジャズをテーマのポスター、当時のレコードのジャケットを暗記するようになめるように眺めていて生まれたポスターなんだそうです。4x5のカメラで撮ってB全用紙にプリントして手書きの文字を描きこんだのだそうです。印画紙の水張り、ポスターカラーが印画紙では弾いて大変だったそうです。
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会社ではケント紙の水張りをしょっちゅうやらされていたそうです。学校で自分も始めての水張りをしたとき緊張したものです。重たい木枠の上にケント紙を置き、平たい刷毛でケント紙の表面をさっと濡らし満遍なく濡らしたら縁部分を紙のテープで四方を抑える。水平にした状態で日陰で1日乾かすと紙は翌日見事なほどに張りつめられている。手を抜くと紙が裂けていたり紙の張力で四方のテープが山打っている。なかなか難しい下地造りの作業でした。同級生が二階の窓から木枠を差し出し太陽に紙をあてて、先輩から怒鳴られた記憶もあります。

学校では、柿渋を和紙に何回も塗って木枠に張り込んだ、襖ほどの大きさの日本画家が使っていたようなものもありました。軽くて便利そうなので横浜の金沢区にあった経師屋さんに別注で自宅用のも作って貰いました。
学生でもオーダーできる値段だったのでそれほど高くなかったのでしょう。

巌さんは、日宣美展へもう一度ポスターを応募します。草月流家元の「勅使河原蒼風」というレタリングを主体にした作品です。

その作品を作ったときの気持ちの文章が最高なので以下に引用させていただきます。

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小柄な男が田圃に囲まれた夜道を歩いている。木枠のついたB全のパネルを抱えて、東京都と神奈川県の県境にある男の家へと急いでいた。夏の夜なので、タニシや蛙たちの合唱が騒々しかった。夜空には流れ星がすうっと線を引き、澄んだ空気の中で見慣れている星座がキラキラと輝いていたという。(1956年の夏 作者21歳)

家は寝静まり、弱い光の裸電球が薄暗い部屋を照らしていた。
男は東京銀座にあるデザイン会社から終電車に乗って、終バスもなくなってしまった町田駅から一里(四キロ)の夜道をパネルを抱えて歩いてきたので、少し汗ばんでいた。

蚊帳の中で寝息をたてて眠っている家族に気づかれぬように、ちゃぶ台を部屋の隅に組み、パネルを静かに置いた。奥の部屋から「イワオ、遅かったじゃないの」と母の声がした。男は黙ったまま、乾いてしまっている瓶に入った大和糊に水を注いでいた。それから会社の引き伸ばし機で写してきた文字の書いてあるトレーシングペーパーと、六色のカラーペーパーをていねいに拡げた。蚊帳の外なので、蚊がひっきりなしによってきた。
男は不器用なので、すらすらとイラストとかパターンが描けなかった。どうしたら良いものかと、いろいろ悩み、考えた末、文字を使って作品をまとめようと決め、アイデアが浮かんだのが昨日だったので、締め切りが明日になってしまったのだ。中略〜
天地三十センチの文字を、なぞり慎重に裁ちばさみで切り抜いた。
六色の切り抜かれた文字は丸まって、平らに紙に貼るのに苦労した。
男は六輪の花がパット花器に活けてあるようにしたいと思っていた。

構成が決まると、切り取った文字を、ゆるく溶かしておいた糊を筆で塗り、糊が乾かぬうちにすばやく黒紙に押しつけ、手ぬぐいではがれぬように何度も強く擦った。擦ると糊がしみだしてきて、精液を連想させた。
男は二十歳だった。

相変わらず家族はすやすやと眠っていた。男の家はは半農半商で、祖父夫婦も健在の十一人の大家族だった。八人兄弟の三男坊である男が違った職業の仕事についたので、家族からはは全く仕事がわからなかった。
明け方父親が十枚ほどの雨戸を開け終わると、眠そうな顔をして家族が次々と起きてきて、男のやっていることを不思議そうに横目で見ながら、井戸端へと顔を洗いに出て行った。時計は五時をさしていた。

1956年の秋、日本宣伝美術協会の日宣美展特選のポスターを誕生のお話
何か、日本の宣伝の歴史を垣間見るようで感動的でした。
今ではコンピュータの画面操作で、文字フォントを自由に操り、レイヤーで動かして一滴の糊も使わず、操作ができる時代。

トレスコープ機の拡大と、カラーペーパーと、裁ちばさみと、大和糊の世界、凄い60年前の情熱を感じます。
因みに自分がデザインの勉強を始めた時代、コンピュータという言葉が聞かれ始めました。十代の自分にも何かとてつもない時代の予感がありました。でも手が人間の素敵なにない手だった時代の情熱を細谷巌さんという方は教えてくださった気がします。1965年の東京晴海でNTカッターという道具に出会いました。刃先が折れて使えるなどなんと最先端と感じた世界でした。

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潔い作品で、間が最高でスキがない構成で、空気が張り詰めていますね。

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その後の、細谷巌さんの作品世界、日本の古武士の精神を感じるのです。
繊細にして大胆、刀の切っ先の潔さとクールさを美しい厳しさと思えるのです。

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画家横尾忠則さんが描いた巌さんです。

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9月06日 [写真]

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ヴェストポケットコダックVEST POCKET KODAK
1915年ROCHESTER USAで製造された、コダック社のカメラ。
今から実に100年の昔のカメラで、日本では大正時代の話、アメリカで
145万台もの生産台数で、安いことが普及の原因になったそうです。
日本では、愛用者に野口英世さんとか竹下夢二さんなどがいるそうです。

このカメラのシリアルナンバーは40万台で、カメラの裏蓋にVEST POCKET AUTOGRAPHIC KODAKと刻まれ下に素敵な彫り物のペンが付いています。この部分の裏蓋を開けるとフィルムの面の裏紙にカーボン紙が使われ、ペンで書き込みした部分が感光したさいには文字が浮き出るしくみだったそうです。撮影中のコマ数に文字で日ずけや撮影メモを入れられる機構です。
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エナメルの黒の質感で、日本の漆を思わせる質感、当時は「つるたん」と呼ばれツヤのあるボディからその後、生地にテクスチャーがつけられていったそうです。ベストのポケットにも入るというコンセプトの手の平サイズのコンパクトカメラ、超緻密な出来上がりで手もとのアイフォンを100年後には作った国の凄さが実感できます。

そう此のカメラストラップのアイレットが無いんです。革のケースに入れて使うのが前提だったようですが。剥き出しのままのがアイホンのようで
かっこいい佇まいなんです。アイホンのカバーを何でしてしまうのかわからなかったジョブス氏の気持ちがわかります。

今でも此のカメラは現役です。埃のついていたレンズに、曇っていたファインダーをきれいな布で拭き取って、掃除をしました裏窓の丸い円盤を外しそこに現代のデジカメのボデーを密着させるとデジタルの素子面に画像が結ばれます。

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1915年の大正4年、100年前の世界はどんなだったか調べました。資生堂が、花椿の商標を採用した年。ツエッペリン飛行船ロンドンを空襲。芥川龍之介「羅生門」発表。日本に大戦景気が貿易黒字一億七千五百八十五万円。ベルリンオリンピック中止。ダダイズム運動。真空管ラジオ登場。
邦文タイプライター発明。太平洋横断無線電話の実験成功。
ベルの指導下に置いて大陸横断電話開通。
東京駅から東京鉄道郵便局までの地下鉄開通。猪苗代水力発電所竣工、世界第3位の長距離送電。サマセットモーム作人間の絆。

以上「情報の歴史」松岡正剛監修よりの引用

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ペンの螺旋状に装飾されたデザインは、日本のシャープペンシルのデザインとも似通ったものも感じます。アールヌーボーとか東洋調の装飾が生かされているようにも感じてしまうのですが。
兎に角素敵なペンです。

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9月05日 [花]

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新しいキーボードを買いました。Buffaloの厚さ⒋5ミリの薄型ワイアレス。メモ帳に書き込んでからソネブロノページニハリツケマス。
打ち込み途中で落ちてしまう現象はこれで防げるでしょうか。
キーボードに慣れるまでは読みにくい文章が続くかも知れません。

タブレットにある画面のキーボードでもいいのですが、キータッチがあると何か世界が違います。キーボどの質量152g、情報社会とは限りなく質量が0グラムへ向かう世界なんですね。

今年の夏今朝も何回目の朝顔が咲きました。

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9月04日 [世界]

隣町のスーパーマーケットの屋上から、東海道新幹線が見えた。
全車両は12両の編成だろうか。白い紐が西か東へ生命体の様に去っていった。
総ての車両が真横から一望できるには、どれだけ離れていて、展望が良い場所が結構ありそうと、ふと考えた。レールは地図上で一直線に轢かれている。かって水田と積乱雲の光景が見られたのだが、家々とビルが多い。

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9月03日 [本]

サイボーグ化する動物たち ペットのクローンから昆虫のドローンまで
エミリー・アンテス著
を読み始めた。いずれ人間にもサイボーグ化の波は来ている世界を感じる

命とモノの関係も、より交差していくのだろうか

数年前に嫌な夢を見た!
木々の枝を折るとそこからコンピュータ基盤と配線が剥き出しになって驚いた。
映画ターミネータの皮膚を被った人間同様の、植物の世界。
緑の透ける葉にも、ナノレベルの配線が見える。

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最近のニュースでは超小型のドローンを昆虫に埋め込んだり、昆虫の神経系をコントロールできるICチップの搭載された蜜蜂の、飛行が制御できる開発などに驚いた。

愛犬との会話も可能な頭に翻訳機を被ったペットも登場するかも知れない。
本を読む前に、中味の想像を思うのも楽しい時間だ。

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命のコピー神のコピー秋はじまる ムオン


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9月02日 [言葉]

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「若い」と「新しい」は別だ。年が少なければ人間がそれだけ新しいとは限らない。若いのに古い人たちを減らすには、老いても新しい者たちがふえなくてはならぬ。

詞集たいまつII  むのたけじ著 616より

若いことはいいことだ、未知なるものと体力も有り余っているから。新しい事とは古さの反対ではない、既製の出来事を、サラから見つめることの出来る事だ。新しいには、希望とリスクが伴う。若いことが、新しいと同じに見えるのは、何故なのだろう。


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老いたれど新しき秋迎え撃つ  無音


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  松脂の滴触れれば柔き秋   むおん

9月01日 [願い]

今日は夏風邪を引いてしまいましたimage.jpeg
夏風邪をひいて今宵の秋の風


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雀瓜転げし先猫の髭


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