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8月21日 [花]

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ブログの書き込みには、他の編集者や、管理人に干渉されることなく、検閲にかからず、掲載されているのか。
検閲という仕事で、悲惨で非情な記事を削除する仕事で精神状態が最悪となった話を聞いた事がある。
悲惨で非情な記事というジャッジの線引きも難しいだろうが。

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葛の花を、路上で拾った。
香りが頭上の葛の葉の茂みから降り注いでくる。足元には今しがた舞い降りた花。

心月という言葉を最近知った。こころづき、悟りを開いたこと。我が心の月。月と宇宙と同じ世界に我が身もある。

    ココロヅキ八月の月朝のソラ  無音


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     葛の葉蔭に老狐の眼ひとつ  無音





8月20日 [雨]

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雨滴のかたち夏のかたち
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水のかたち夏のいのち
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夏の扉儚い窓
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夏の雨今朝の雨

8月19日 [写真]

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暑さが続きます。今日はカキ氷と梅にシロップで、凉をとりました。
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8月18日 [人]

小熊英二著
生きて帰ってきた男
- ある日本兵の戦争と戦後
を読んでいます。
1968を書いた小熊英二氏の父上の記録です。著者は直接父親から何度も、話を聴き、調べもしたのでしょうか。


語りたくない戦中の話も多かったのではないでしょうか。語り尽くせぬ話や記憶もあったでしよう。満州で捕虜になりシベリアのチタという町で1945年に20歳の誕生日を迎えた、著者の父。

読んでいる私は1968年20歳の誕生日を迎えました。戦争とは、平和とは、高度成長の日本とは、何だったのか。
読み続けます。


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    秋の陽が外に佇む時代かな   むおん

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 朝顔の季語を忘れて花に聴く   むおん



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戦前戦後の暮らし朝顔ひとり  むおん




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8月17日 [かたち]

小熊英二著 1968 (上)を読み始めた。今から半世紀程前、隣の国では文化大革命、南ではベトナム戦争、日本は高度成長の最中にあった。ベトナムに平和をと、ベ平連の小田実にも憧れた。
日本にもベトナムに派遣される、日本からの徴兵の不安があったと本にはある。
三池闘争から、安保闘争、学園闘争、様々な運動があり、現在へと繋がる。
田舎から都会へ、貧しさから豊かさへ、農業から工業へ、石炭から石油へ、今日の原点が半世紀前の時代のうねりの中にあった。
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1960年当時の代表的レジャーは、寝ジャーとも言う、ゴロ寝だつたという。
サンダル履きのベトナムの兵士が、最新鋭の装備の米軍兵士と互角以上に闘い、日本ではベトナム特需という政府をあげての戦争支持があった。
しかし、このベトナム戦争指示に対し、日本はアメリカの被害者の立場にたつが、同時にベトナムに対しては加害者の立場に立っている。日本はアメリカの命令に逆らえないという意味での被害者。

近代の戦争では、兵士よりも市民の死亡率が高いという。無差別に破壊活動を行った民族皆殺し作戦といったジェノサイドが始まったのもベトナム戦争からか。無人の攻撃ミサイルやゲーム感覚の戦争もこの頃からか。

日本は安全地帯から自分が、被害者であり加害者である存在に解決をみいだせないでいた。

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昨日100均ショップで、ベトナム製の手で編まれた商品を手に取りました。
手先の器用な人の指先で編まれた小さなカゴ。
日本迄の輸送コストに業者の利益などを差し引いて、作者の多分女性、それも比較的高齢な女性ではと想像しますが。彼女はどんな生活をベトナムでおくっているのでしょうか。以外と若い女性がスマホの2台目を買うために、作業しているのかも知れません。
百均では、手作りのアイテムがどんどん減っています。大量生産可能な樹脂製、アルミ製、プラスチック製の世界になっています。

手作りアイテムは貴重なものになっていくのでしょう。
この籠の編み目と作者の無心なかたち、美し過ぎると思うのです。
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大地割れ原始の夏生まれし朝


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椿市に戦の話夏つばき 無音









8月16日 [道具]

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我が家のスクリーン画面のある、道具を数えてみた。玄関のチャイムのモニター、エアコンのリモコン、風呂場のモニター、ガスコンロのモニター、冷蔵庫のモニター、テレビのモニター画面、録画機器のモニター、スマホのモニター、携帯電話のモニター、PCのモニター、4台のタブレットのモニター、内一台は不使用中。Kindleのタブレット、デジタルカメラ5台のモニター画面、車の液晶画面、室内温度計のモニター、デジタル歩行計のモニター、等々凄い数のスクリーンに囲まれている。

視覚優先と指先優先の未来社会の入口だ。声で認証でき合う世界も始まっていて、初期のワープロが誤変換を繰り返していたように、AIとのコミニュケーションギャップも今は楽しい時代だ。

兎に角、紙の時代が終わり、スクリーンの時代が浸透していることを実感した朝でした。


手元のタブレットのスクリーンから、世界の知識や知恵の元の紙の本が、無料で読める時代。戦争をやめるには、戦争をしないには何をすべきか、さがし出したいと思います。

小倉英二著 1968 若者たちの叛乱とその背景
という紙の本を読み始めました。
あの時代とは、何だったのでしようか。あの時代私は20歳のサラリーマンでした。冷めた目で社会を見ていた記憶があります。学生達の世界と、別の世界にいた自分。

そんな自分が半世紀後にスマホの画面で、ブログの文を打つ。口頭筆記のソフト入力も慣れれば、素敵な気がします。

あの時代、手描きの壁新聞が大学の校内に貼られた光景を横眼で見ながら通勤していました。会社近くのガソリンスタンド迄バリケードが築かれ、路上の石が剥がされる光景を思い出しました。

8月14日 [夜]

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世界は、非物質化の世界を目指す。ちょっと難しい話ですが、10年以上前に、モノの重さで値段がどう違うか、興味を持った事がありました。今現在の大根一キロの値段、アルミ缶一キロの相場、ダイヤモンド一キロの価格。
当時何が一番高かったか。
其れは、質量0キログラムの情報でした。ダイヤモンドや、ウランよりも高い、非物質の情報でした。

まあ情報にも様々ありますが。
昨夜我が家に夜香木という、夜に咲き、夜に香りを放つ南方系の植物の花が開きました。香りはどんな情報を持っているのでしょうか。


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30年前の車から、現代の自動車の総重量は25%も、軽くなっているそうです。カメラも携帯もPCも、確実に小型化軽量化されています。

非物質のビットの世界と、物質のアトムの世界はよりちかずくのでしようか!


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8月13日 [写真]

人間の眼は不思議だ。否脳が眼からの信号を処理する技なのだろうが、凄い。
何が凄いかとは、オートフォーカスレンズのカメラの動作を見ているとわかる。ロボットの様な機械音でレンズが回転し前後にピントを調整し、狙ったモノへと一瞬で焦点を結ぶ。最近のカメラは無音で一瞬に焦点を結びピントを合わす。レンズが動くとその先に焦点を素早く結ぶ。時々カメラの動作が遅くピントを結ばないことがあると嬉しくなる。焦点のぼけた何ものかわからぬ世界。好きな世界だ。

人間の眼は、カメラの眼より素晴らしい程スムースに見るという行為を完遂する。途切れなく自然に遠くのものからごく至近距離までピントの移動を滑らかに行なう。近くを見て遠くのものがボケて見えることなど無いのは、物凄い脳の進化の賜物なのか。球形の網膜に映る光景は四角な画面では無いだろう。カメラが発明され、それ以前の絵画の額縁の四角からか、人は世界を四角で切り取ることに慣れてしまった。

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朝の光の中で観る、四角い家の中の漆喰壁は、豆腐の感触の様にも思えた。

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漆喰に藁のかけらが語る夏 無音





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青の暈しの麻の蚊帳を、カーテンに仕立てて夏を乗り切っている。温暖化の国になり、冬場も蚊帳のカーテンはそのままになっているのだが。

子供の頃、田舎で蛍をとって持ち帰り、蚊帳の中に放した。翌朝蛍は、蒲団の上で動かなかった。
子供心に、命の儚さを知った様な気がした。数日後の朝、蚊帳の中に手のひらに乗るほどのカラス色した小蛇が、蒲団の真ん中にいた。何が座敷童子が変身してやってきた様な奇妙な世界の朝だった。



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蚊帳越しの光景や、格子越しの室内の光景など、前に遮る物がある光景が好きだ。
ベール越しの存在が、当たり前になっている世の中のせいだろうか。
空気の様なものも、確かに変化を見せて存在し、その存在を人間は疎かにしてきたと思う。
その存在とは、情緒というものなのだろうか。

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8月12日 [俳句]

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大道寺将司句集   残の月  より



  蝉のこゑ秋津の鬼になれと言う



秋津島と呼ばれた、日本の鬼は、拘束40年の独房生活の大道寺氏の姿かもしれない。

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「英霊」を量り売りする残暑かな










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うき草の沈みし叛意欺かず




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     線量の高きを知らずかたつむり







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   生きてあることの宜しくづくの鳴く






※づく  とはミミズクの事だそうで、深い闇から聞こえてくる、木菟の鳴き止んだ後の余韻が、やさしく共感できる。
画像は、路上採取の宝石たち。



     ぞろぞろとなほぞろぞろと敗戦日


     原発のなかりせばのどけからまし



    差別なき世を夢にしも冴返る












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