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8月11日 [花]

布袋葵の花が咲いた。1日限りの花の命。浮き袋のある草の本体は生命力溢れて元気。

    浮いて来い我が手飛び出し天を突け   無音

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   浮いてこい沈む政府にさらばして  無音


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8年10日 [本]

今日は山の日、海と山の間に我々は住んでいる。世界の人々の中には一生海を見ないで暮らす人もいる。一生山かや降りずに生活する人たちもいる。その逆に山と海とに囲まれ一生過ごす人たちもいる。
この国では、海の日と、山の日がある。この日以外の363日は、里の日とでも言おうか。

山を想い、海を想い、里を想う。
想いながらお茶を点てた。

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最近、本の乱読が加速してきた。一冊の本をじっくりと読めない。アマゾンでは本の読み放題が始まった。電子書籍でスクリーンで読む本だが、片っ端から読みたい本をダウンロードしてしまう。
紙の本もアマゾンでポチったり、図書館では月に30冊平均で借りてしまう。すべての本が読みかけで、デスクトップや、机の上に散乱する。やたらとチャンネルを変えるテレビのザッピングや、眼が疲れると他の本を開く、ウェブサーフィンのように。電子書籍も中身が解体され、1ページや、検索用語に寄り道をするのが当たり前になった。確実に何かが当たり前になり、何かが失われていく。

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すべての本がリンクされ、その中身もタグ付けされた言葉で埋まり、本の内容の要点もダイジェスト版で表示され、一冊を全て読む人はいなくなる。何もかもが解体され再構築され、不変のものが無くなる世界。羽根を休める蝶の背中に聞いてみた。本は死んだのですかと。

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8月09日 [いのち]

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青筋揚羽

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猛暑避け蝶の不時着水溜り 無音


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幻覚は蝶が目撃夏の龍 無音

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逃避行夏場所畳み蒼き蝶 無音

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白昼夢我蝶となる午睡哉 無音


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原爆忌命は今も羽撃けり 無音


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8月08日 [人]

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NHKの番組を観て感動した。あなたは「イゾラド」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
南米で「イゾラド」といえば、”隔絶された人々”という意味を持つ。そう、原初の先住民たちである。もっとも、「イゾラド」当人たちは自らがそのような名前で呼ばれていることを知らないだろう。彼らは文明社会と一切の関わりを持たない。2016年においても、洋服を着ないし、武器は主に木製の弓矢か、槍を使っている。イギリスがEUを離脱したとか、世界中がポケモンに夢中になって歩きスマホが問題だとか…… 我々の耳に当たり前のように入ってくるありとあらゆることは、当然ながら一切知る由もない。南米大陸で、始めてというオリンピックが行なわれている。同じ大地に生きる人々。彼らは後2年くらいで消滅するだろうという。免疫力を持たない彼等は、現代人と接触するだけで病気に感染しやすいという。


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彼らの顔立ちは近親相姦のためか、皆似ているという。

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北米最後のアメリカインデアンの、イシという男性の話を、昔読んだ。 もし此の国が滅び、自分が最後の、ひとりになつたとしたら。イゾラドの家族を見ながら考えてしまった。 数年前台湾に行った時、日本が台湾統治時代に、少数民族の一部族と霧社事件という悲劇を生じた事を知った。 日本にも、アイヌの人達と、沖縄の歴史の伏せてはいけない問題がある。 数多くの人が住む地球は、何処へ向かうのか、アマゾンの滅びさる家族に、何故か強烈な懐かしさと、逞しさを感じた。 文明とは、何か。人とは何か。国家とは何か。

8月07日 [写真]

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昔の35ミリフイルムカメラの、フィルムカートリッジ。真鍮の光沢と、手持ちのズシリとした重さに、思わず不要ながら求めてしまった。不要の要、何故かこころ温めてくれるもの。


世の中ですぐ役に立つもの、便利なもの、効率主義の世界は、何か哀しいものだ。人は何のために生きるのか。
幸福とは、何ですか。




8月06日 [風]

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暑中お見舞い申し上げます


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明治43年(1910)頃、湘南大磯では貸し間大流行。旅館より自由度が高い町民による、貸し間業者が増加。現代の ABandBの先駆けか。

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散歩の途中で、サワガニに出会う。青い甲羅は涼しげ、象牙色した白いハサミや、体の部分は柔らかそうで儚げに見える。水の中がカニにはよく似合う。

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アブラゼミの羽を拾い上げた。手元で見ると神の造形の見事さがわかる。
71年前の広島の夏の空を、飛ぶアブラゼミの姿を思った。多くの命が一瞬で焼き殺され
その後後遺症で苦しんだ命のあることを思う。
ポケモンよ、世界に平和とはいかに尊いかを伝えておくれ。
人や生き物たちを元気にさせる力があるのだから。
地球の反対側は真冬、五輪大会という平和の祭典が、始まる。
富める者も、貧しき者も、心豊かなる者も、心貧しきものも、すべての人々と、生き物たちに幸あるスタートの祭典であることを願う。


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湘南大磯町の西小磯地区の七夕祭り、旧暦七月七日の前日、道祖神信仰の深い農村に根を下ろした行事。子供達が自主的に運営、この日竹を集め、里芋の葉の露を集め墨で願い事の文字を五色の短冊に書き吊るす。飾りのついた竹を持ち歩き氏神様に詣でる。竹飾りを地面に数回お祓いする所作を繰り返し、夕方竹を束ねて舟の形に作り、七日の朝に浜に出て沖に舟を流す。
流された舟は、隣町の平塚の漁師達が拾い、釣竿にして魚を獲るとよく釣れると、竹を奪い合ったという。西小磯地区は大磯の西側の字で、柳田國男がこの地域が柳田家のルーツではと、故郷70年で書いていたことを思い出した。この行事は大磯下町の正月行事の左義長とセットの祭りのような気がする。子供達が主役で、道祖神を中心に、大人になるための役割を学ぶ行事として。

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明治43年大磯署管内の虎眼患者一万人以上になる。虎眼はトラホームか?最近は聞かないが衛生観念が発達したためか。

8月05日 [写真]

十代の頃憧れた人物の事が最近気になった。その方が70歳を前にして書かれた本を読んだ。
その方が十代で社会に出て、一躍その業界で華々しくデビューして世界に見聞を広め、活躍した事柄と、仕事に対する思いが真摯に書かれ見事だった。その本が書かれてから12年が既に経過していた。今ネットで検索するとこの方の現在の顔がたくさん出てきて驚いた。81歳になられるその方は、丸みを帯びて、お会いしたことはないのだが、昔の侍のイメージが微塵もなかった。
今の世に侍はいないのだから、当然なのだろう。
本を読んで自分の熱い青春時代も思い浮かべてしまった。

誰かが 青春時代を人生の最後に来るように、神様に相談したい とあった。
確かに青春時代が、人生の最後にくるような人もいるかも。



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退屈も熱もありして青春の夏ゆく むおん



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目力を積乱雲が見降ろして昼 むおん


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新しき季語産まれそう木下闇 むおん




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8月04日 [世界]

昭和29年(1954)8月4日 - 神奈川県の大磯北浜海岸沖500メートル付近にF-86戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。昨年の今日もブログで同じことを書いていた。ネッットの検索で米軍F-86戦闘機が墜落し乗員1名が死亡ということも分かった。何時頃のことだろうか。機体はすぐ回収されたのか。戦後10年も経たない頃の出来事。

1960年代前半に撮った横須賀の光景が出てきた。この頃の潜水艦は既に原潜だったのだろうか。
横須賀駅の近くの公園から、米軍基地の中の光景はよく見えた。撮影は夕日に輝く冬の時間だっただろうか。
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帝国海軍時代の将校倶楽部があった。その特徴的な窓が今も記憶に残る。米軍に接収されEM倶楽部という名の施設になり、米軍の将校たちや水兵が出入りをしていた。今は取り壊されてしまったが、大きなステージのある劇場があり、戦後のジャズはこの場所でも活況を呈したという。ヒマラヤスギの並木と独特な装飾の建物が懐かしい。建物の周りにはニューヨークの一角を思わせる避難階段やスチームのガスが白い煙を路上に吐き出したちのぼる光景が懐かしい。

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あの頃学校の写真の授業で、白いカルミンという菓子を並べ額縁の中の子どもといったテーマで俯瞰して撮影した。カメラの煽りを利用しての撮影だった気もする。ブローニーフィルムに煽りのできるレンズの構成だったのだろう。写真が醸し出すトリッキーな世界に興味があった。

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祖父が南方の国から土産で買ってきたとか言っていたガラスの皿。虹色に光る青い皿は、祖父が亡くなり、私が亡くなってもこの世に存在するのだろう。モノの命を思うと不思議になる。すべては帰って行く場所があるのだろうが、人間はどこから来たかも知ってはいない。

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   儚げな真夏の皿よ幾とせの命あり  むおん



8月03日 [色]

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蔦の葉が秋色に染まっていた。緑は信号では進め、赤は止まれ。
散歩の途中緑の中に目立った警戒色の赤を見つけた。

泥大島の反物を染めたという時に使った、桜の木の板締め擦り用の板の上に蔦の葉を落とした。
バーコードの線のような板は、染料を吸って黒く輝いている。
闇の上の赤のように発光するツタの葉。
闇に浮かぶ葉脈は、自分の目でなくカメラのレンズが捉えた世界。

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増幅するビットの世界がツタの葉から離れてモニターの中に。
赤と緑のピクセルがモニター画面の中から発光する。
光のないピクセルが赤を浮き立たせる。

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自然から離れた赤が、デジタルな赤の信号となって画面に浮かぶ。

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 深みのある赤は大地に染み込むようにそこにあるだけ。この赤のデジタル画像はいつの時代まで存在できるのか考える。ハードウエアーが消えてもデータはどこかに存在できるのか。
人の思考も、経験もいつか記録されたデータとして呼び出せる世界がくるのだろうか。
すべてが残り、消えない世界は、何か窮屈な気がする。人類の叡智が結集され活用され、新しい様々な知性が誕生する世界。そしてその対極を目指す世界。どちらもアリなのだろう。
この一枚の蔦の葉が、どう見えているかは、様々な生物で違う。

その有り様は、長い歴史の必然性と偶然性の組み合わせによって生まれたのだろう。

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葉の上の赤と緑の分布を見ながら、その世界の中で行われている不思議を感じる。
国境のようでもあり、人の善悪の断面図のようにも見える構図。

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  風の音が窓の外で強く唸りをあげるように聞こえた。その後の静寂のが長いのに、耳の中には、今聞こえた風の音が残っている。人は絶えず耳を澄まし、眼を見開いていないことがよくわかる。
すべての刺激に反応していたらたまらないストレスになるだろう。

 窓の外の木々の葉がかすかに揺れている。まるで古代からそこに気が合ったように思えるのは何故なのだろうか。蔦の葉が、次に吹いた風のために舞い上がり、古代に向かい飛んで行った夢のような世界を思い描いた。

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   夏風に乗って古代へ言の葉は赫    ムオン








8月02日 [色]

夏には淡い水色の世界が涼しい。藍染の色は何か水を連想させ冷たく透明感のある世界を感じる。その青の階調の色の種類は、美しい呼び名が多い。

浅葱色(あさぎいろ)、水浅葱、花浅葱、納戸色、新橋色、水色、天色(あまいろ)、群青色、秘色、瓶覗、藍色、薄藍、濃藍、青藍、褐色、青褐、褐返し、藍鉄色、藍錆色、縹色(はなだ色)、薄縹、淺縹、瑠璃色、紺瑠璃、鉄紺、茄子紺、紫紺、勿忘草色、露草色、薄花桜、紫苑色、花色、薄花色、などなど
なんと数の多い青の色名達だろう。

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青という名は、古代暗いという意味を持っていたようだ。古代の色は、光を意味するものから始まり、明るいを表す色は、赤だった。文字どおり太陽の色の朱であり、明るいの赤だった。

青は黄色から緑を経て、青に至る広い領域の色を、アオと呼んでいたようだ。
アヲだったのかもしれないが、夜空の青の階調は闇にと続いていく。

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青は鎮静効果を出す色かもしれない。知的で冷静なイメージの青。蒼、碧、青と様々な顔を持つ。
赤の領域は、明るく活動的な色、輝き陽気さの溢れる世界。朱、緋、赫、丹、紅、赤とすべてアカと読む種類の多さ。

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定かでなかったものがカタチを表す。青い瓶が目の前にある。

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   蒼き騎士真夏の海に飛びこんだ  無音


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   明確なカタチを あらわす前の姿のが その真実の気配は強く感じる


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