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10月11日 [花]

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100年前の人は、このアメリカ生まれのカメラで何を撮り、どんな暮らしをしていたのか思う。
何人もの人を渡り歩き、海を越え、時を超え、自分の目の前にある写真機。

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そのレンズを通し、生まれてから100年後の世界を観る。

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命ふたつ秋の蚊と白き花 むおん


秋の蚊や叩かぬ仏の頬光り むおん


レンズ越しに、2016年の秋、10月10日に咲く、白いホトトギスの花に止まる蚊の姿を見た。
花の蜜の香に誘われた雄の蚊だろうか。縞々の細い身体と、秋の蚊の弱々しい姿が、自分を鏡で見るようだつた。写真は自画像。

10月10日 [写真]

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80年以上前のカメラで前のレンズを外して、クローズアップで撮りました。
秋はもう始まっています。

10月09日 [世界]

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小児科医で御自身が脳性麻痺患者でもある熊谷晋一郎さんの書かれた文章が目にとまった。

東日本大震災があったとき職場の研究室から逃げ遅れた熊谷さんは、考えたという。職場は5階でエレベーターは止まり逃げられない。

逃げるという選択肢が自分にはなかったといいます。エレベーターが止まっても他の人は階段やハシゴで逃げられます。車椅子生活の熊谷さんには、エレベーターしかなかった。

その体験から、彼はこう考える。

「一般的に『自立』の反対は『依存』だと勘違いされていますが、人間は物であったり、人であったり、様々なものに依存しないと生きていけないんですよ。だから自立を目指すなら依存先を増やさないといけない。

依存先の集中は自立を妨げ、分散はそれを助ける、という熊谷さんの指摘は、中央集権的に編成された現代社会の有り様を鋭く突いている。

社会は、学校や会社や病院といった組織、大企業を中心いうごく経済、さらには国というものに一元的に依存することで自明の如く成り立ってきた。

けれどもそれらは磐石なものではなくなってきた。


依存先の分散化は、暮らしのあらゆる場面で急務になりつつあるという。

分散化のために、インターネットという存在が大きく推進作用を高めてくれることを強く感じる。

WIRED編集長 若林 惠氏のことばから

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10月08日 [雨]

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今朝は朝から雨。雨の雫が昨日散歩で拾ったどんぐりの雫に重なる。
雨は、百円ショップで求めた八カラットのガラスの雫にもなる。
歳を経ると生まれてからこのかた見てきた数億カットの頭の中の画像が、必要な時に呼び出され、重なり合って見事に並ぶ。

道元禅師の「我を配列しおきて尽界とせり」という言葉を聞いた。
私をずらりと並べて、この世界は出来ている。

赤子の自分、物心ついた頃の自分、反抗期の自分、働き盛りの自分、様々な人々にあった自分、老いて振り返る自分、亡くなった人達とも出会った自分、
尽きることなく並ぶ自分の姿、悟りの境地に観える姿なのかもしれない。

不滅の大河に、天よりの雫一滴。

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10月07日 [本]

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以前「犬のお伊勢参り」という本を読んだ。
実際にあった江戸時代の話のようで、何々村よりお伊勢様へと、書かれた木札と餞別の銭を入れた袋を首に下げ、街道を行く旅人が、交代で伊勢まで連れて行き、無事村まで帰ったという。
当時の犬たちは、村や町の番犬として名もなく、特定の飼い主などもいなかったという。里犬、町犬として、暮らしていたという。同じ著者の、「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」という江戸の犬たちの人間との暮らしぶりの記録を読んだ。有名な将軍綱吉の生類憐みの令により、江戸の町の町犬が十万頭もお助け小屋に収容され、牡牝別々に管理されたという。白米を餌に与えられ、散歩もなくなったため、半分以下の頭数に減ったという。脚気は犬でもかかるようだ。

江戸の町の犬達は、普段は人間の残飯を拾い、魚の残飯も食べ、江戸の町のゴミ処理の役割を果たしたという。

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明治に入り、外人に吠える町犬が続出し、政府は国際的な問題を鑑みだした。犬には所有者の名を記した木札を首につけ、犬の名も決めること、おふれを出したという。
海外から持ち込まれる洋犬が増え、純粋な和犬は見る間に減ったという。人々は洋犬の名に習い、ポチという名を多くつけたという。

殿様達の鷹狩のための猟犬や、鷹の餌となる犬、犬追物という犬を追う狩。
江戸の初期には赤犬達を食用にしていたともいう。
中国や韓国で食用に犬が使われている事や、英国の狐狩りの歴史が、動物愛護協会を生んだという事実。人間は人同士でも殺戮をするが、犬達との長い歴史にも様々な局面があることを知った本です。


犬と名のつく植物名の話もありました。犬蓼、犬枇杷、犬槙、犬トクサ。

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10月06日 [花]

ご近所の河原に、野生化したのか蕎麦の花が咲いている。毎年この時期土手に白い小さな花が一面に。夜は初雪のように浮かび上がる。10月に入っても真夏日が続くこの町なのだが。
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ノーベル賞を受賞された、大隅先生のお住まいが、この町だと知って何か少しだけ嬉しくなった。山と海と野山がまだこの町にはある。
村上春樹さんがノーベル受賞したら、二人のノーベル受賞者がこの町にはゆかりの人となる。
村上春樹さんは、この町には書庫だけのご様子で、NYの仕事場のが多そうなんだが。

御二方の家の近くでもないのだが、静かな時間が我が家の周りでも流れている。室内でも外でも金木犀香りが漂っている。

隣町のららぽーとオープンの光景を少しだけ見てきた。空一面の鰯雲を見て、ららぽーとの前にあった日産車体の宮崎工場の空を想った。宮崎も、台風一過秋の雲が広がっているだろう。
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10月05日 [花]

水引のアーチの先の誕生日 むおん

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水引の一目散の空威張り むおん

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健忘期水引語る深き謎 むおん

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明日花みずひき草の夢並び むおん

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10月04日 [写真]

今日は、数時間前に、江ノ島の見える134号線を通過しました。秋雨前線の影響か、今日も雨です。
ここ数日事前投稿が、続いています。何か思ってブログに打ち込んだ時の時刻と、投稿した時刻、掲載開始の時刻と三段階の時間のズレを想いました。
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時間と写真の本質は何か。
江ノ島方面の魚屋で、小柱を買いました。
昼には素麺を茹で、茗荷とおろしに、貝柱を載せて食べました。
暮れになると、贅沢をと日本橋砂場で食べた、霰そばを思い出しました。温かなつゆ蕎麦に、たっぷりの小柱だけが霰のように載った、細やかな贅沢の粋な蕎麦です。
食べ終わり、店の戸を開けると小雪が散らつく光景だったら最高の季節限定。
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机の上の、写真展の図録が二冊並びました。
東京下町出身でニューヨークで育った写真家、杉本博司さん、アメリカの日系一世二世達の収容所の作品と、歴史。
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今まで外側から見なかった、何か深いモノが感じられて来るのです。
画像は、二冊の図録から。

以下 杉本博司 ロストヒューマン展から

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同展より

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以下 尊厳の芸術展より

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二つの祖国
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10月03日 [写真]

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10月1日は都民の日、あちこちで入場が無料になる催しがあった。同時に中国の国慶節の時期、都内の人出を覚悟しながら、恵比寿にある都立写真美術館を覗いてきた。開館して20年位だが今年9月に大幅にリニュアルして新たに特別企画展「杉本博司 ロストヒューマン」展を開催していた。
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最近この閉じ方だと180度図録を開けるので心地よい。糸で閉じたものを何層にも重ね、古くからある古典的な趣も感じる装丁だ。
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20代でニューヨークで写真活動を始めた、写真家の仕事を見たくて会場を散策した。人類と文明の終焉というテーマは重い。会場内の使い古した大きな波板のトタンの壁が、何か戦後のバラック建築の空間に入り込んだようで凄い。錆びたトタンフェチの自分としては嬉しいのだが、気が重くなる部屋のように仕切られたトタン張りの空間に重い空気が張り詰める。紙切れに書かれた遺書めいたものが全て違う筆跡で各展示にそっとおかれている。

今日世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない

写真家は、私は言葉が語る情報より、ものが語りかけてくる気配により耳を語りかけてくるようになった。何故ならモノは嘘をつかないからだ。
石器時代の磨製石器から、現代のチップまで、モノは何かを私に語りかけてくる。私はいわばモノの語りかけてくる声を聞くことによって、人類史を再読してみたいと思った。


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新作の廃墟劇場が素晴らしい。アメリカの国民たちが建国以来映画館をここまで見事に作り上げ、それが廃墟になる時間を思う。

廃墟になっても国土の広いアメリカはそのまま劇場が残っているのだろう。

上映時間2時間の映画を新たに、スクリーンを張ってその時間のスクリーンの光だけで撮影をしてフィルム写真の作品を作られたのだという。

映画は2時間で約17万枚のカットからできていると言う。その17万枚の写真を撮ることを夢想してシャッターを切ったという。
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2時間の長時間露光が捉えた大型カメラによる作品。展示の床には上映された作品のタイトルと内容が記されていた。
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白いスクリーンが発光するようにせまってくる。多くの観客のさんざめきと重なる廃墟の劇場、それを見る現代の人々。

まだ世界は死んではいない
まだ明日世界はあるのだろうか

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アメリカの象徴キャンベルトマトスープの缶の方がアンディウオーフォールの作品の高くなる未来がといった比喩のコメントもあり、缶も輝く。


10月02日 [人]

国会の首相の所信演説に、自民党議員が一斉に起立して、まるで何処かの共産圏の国の独裁国家の様な光景だという記事があった。

なぜ議員たちは起立したのか。予め示し合わせて起立したのだろう。なぜ起立しなければならなかったのか。

倉本聡さんが、昭和19年国民学校の4年生だった時の光景を書いている。
その頃始まった学校配属将校制度にのっとって一人の将校が突然僕らの前に現れた。彼は僕らを横列に並ばせ、開口一番いきなりぶちかました。
「特攻を志願する者、一歩前へ!」
僕らは全員凍りついた。特攻を志願するとは、国のために死ぬということである。命を絶つということである。
それが仮想の世界ではなく目の前の軍人の口から発せられたのだから、それは現実として受け止め、死ねるかという設問に必死に思いを巡らしたのである。
勇ましいのがいきなり一人の前へ歩を踏み出し、つられた様に2、3人が出た。一寸間があって、はじかれたように大きな集団がどっと前に出た。僕はその時まだ出られなかった。隣をちらとみると親しい旧友が蒼白になって半分震えていた。そいつと目があった。同時に二人ともバット前に出た。最後まで出なかった者が2、3名いた。
配属将校が、「戻れ」といい、一同の緊張がふっと解けた時に、誰かが「卑怯者」と最後まで出なかった旧友に向かい小さく囁いた。
その言葉が倉本さんの耳に今でも残っているという。

最後の二人は、本当の卑怯者だったのか。出なかったら後で周りに何か言われることが怖かった卑怯者は自分なのではないか。
周囲におもねって迎合してしてしまう卑怯者、真実を語るより会社の利益、自分の立場を守ってしまう現代の卑怯者。
組織にしがみついて、事実の隠蔽、虚偽の発表、などなど企業や巨大な組織、党派の中にあって、周囲を裏切りはみ出すことは、真実を貫くより強いことなのか。人の本質は全くあの時からも進歩していない。

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みんなでいれば怖くない、自分を出せばお終いだ。そんな国会のの光景とも重なって見えてくる世界。片寄ってはいけない。そんな思いと怒りが湧いてきました。

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